とうとうこの日が来てしまいました。
イチロー選手の引退です。
昨年5月、「会長付特別補佐」に任命という異例の発表があってから、恐らく2019年東京ドームで迎えるMLB開幕シリーズが最後の花道になるのかもしれないと何となく覚悟はしていましたが…。
実際に本当に引退となると寂しいものです。
3月21日のラストゲームは、私は仕事が休みだったので試合開始から終了後の引退会見までほぼ通しでテレビ中継を観る事ができたのは、野球ファンとしてとても幸運でした。
今回、イチロー選手引退と言うことで緊急企画「イチロー引退特集」を【号外】として特集します。
本当は西武ライオンズの話題以外はこのブログでは展開しない予定でしたが、オリックス時代は西武の前に大きな壁となって立ちはだかったライバル戦士の一人であった事はまぎれも無い事実です。
また、私も一人の野球ファンとして多くの感動と勇気を与えていただいた偉大な選手でもありますので、西武以外の選手ですが特別編です。
これまで日米、そしてWBCなどで残してきた数々の栄光や偉業、伝説はご存知の通りです。
その全てを振り返ることはできませんので、ここでは1994年にブレイクする前の「鈴木一朗」時代を当時記事から面白そうなものを家から探し出しました。
どうぞお楽しみ下さい。
【1991年選抜高校野球】
第63回選抜高校野球大会に愛工大名電のエースとして前年夏に続いて出場。
対戦相手の松商学園のエース上田佳範投手(この年ドラフト1位で日本ハム入り)との投げ合いの末、8回に勝ち越しをされ2-3で初戦敗退。
3番打者としても5打数無安打1三振と上田投手に完全に抑え込まれました。
しかも9回最後のバッターとしてファーストゴロに倒れゲームセット。
その瞬間、天を仰ぐ背番号1の選手が鈴木(イチロー)。
試合後、失点した初回と8回は、気の緩みだったとコメントしていました。
また、この記事中には既に並の選手では無かった事を裏付ける、こんな特筆記事がありました。
「集中力を表す脳波(アルファ波)を計測してもらったところ、鈴木の数値はチームで断トツ。」
新聞スクラップより(いずれも1991年3月30日付け中日スポーツ)
【1992年ジュニアオールスター戦】
オリックス入団1年目にジュニアオールスター戦(現フレッシュオールスター)に出場。
3-3の同点で迎えた8回表に代打で登場し試合を決める勝ち越しホームランを放ちMVPに輝く。
前半戦終了時点でウエスタンリーグで既に81安打を放ち、打率も3割6分7厘を記録していた。
二軍成績とは言え、高校卒業間もない時期にこの数字は凄い!
大舞台でのMVPと合わせ既に大物の片鱗は見せていた事を物語っています。
新聞スクラップより(1992年7月18日付け中日新聞)
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