【号外】イチロー引退特集:鈴木一朗時代を振り返る<後編> | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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イチロー選手引退と言うことで勝手に緊急企画「イチロー引退特集」【号外】の後編です。

 

1993年タカラプロ野球カードゲーム

 

【1993年プロ初ホームラン】

入団2年目の6月12日に野茂英雄投手からプロ入り初ホームランを放つ。

新潟県の長岡悠久山球場というのがまた良いですね。

新聞スクラップより(1993年6月13日付け中日新聞)

 

ここで西武絡みの名シーンを。

プロ入り1号は野茂英雄からでしたが、1999年に放った通算100号は松坂大輔からでした。

新聞スクラップより(1999年7月7日付け日刊スポーツ)

試合後のコメントで松坂から100号を達成しようと狙っていたそうです。

記事の小見出しにある「メモリアルはスター撃ち スーパースターの証明だ」

まさにその通りだと思います。

もしかしたら野茂から放ったプロ初本塁打も狙って打っていた?

 

【1994年は鈴木(イチロー)で始まっていた!】

入団3年目の1994年は、ついにブレイクして全国区になった年です。

この年のオープン戦は全球団の先頭を切って2月20日のオリックス対横浜戦で開幕しました。

この試合の8回に満塁の場面で打席が回って来た鈴木は中越えに満塁ランニングホームランを放ちました。

新聞スクラップより(1994年2月21日付け中日新聞)

オープン戦とは言え1994年最初の試合でいきなりド派手なパフォーマンスを見せていた事はほとんど知られていません。

その後、開幕直前の4月7日に仰木監督の提案で「イチロー」へ登録名を変更し大活躍。

一気にスーパースターへと昇りつめ、数年後には、海を渡った地でもこの名を轟かせることとなります。

<終>