【1987年の市村則紀】
西武在籍:2年目、背番号36
成績:27試合 2勝0敗 0セーブ 防御率5.82
背番号を「38」→「36」へ変更。
左サイドスローからのスライダーを主としたクセ球を武器として、主に対左打者のワンポイントリリーフとして起用され、1987年も27試合に登板し優勝に貢献した。
昭和62年度タカラプロ野球カード
市村則紀
西武在籍期間:1986 - 1988年(3年)
西武通算成績:75試合 4勝2敗 0セーブ 防御率4.28
東洋大学時代は後に西武でチームメイトとなる松沼博久と同期で投手二本柱として活躍。
社会人野球を経て1982年ドラフト会議で中日から3位指名を受け入団。
指名時の年齢はドラフト史上最高年齢の30歳5ヶ月であり、「子連れルーキー」としても話題となる。
1986年開幕直前、鈴木康友との交換トレードで西武に移籍。
1988年限りで現役を引退。
在籍期間は3年と長くはなかったが、1986年にテレビ番組の珍プレー特集で、リリーフカーを乗り間違えたシーンが珍プレー大賞に輝き有名になるなど、変則気味の投球フォームと合わせて印象を残した選手でした。