西武ライオンズタイムマシーン(第35回):ライオンズにとって「9」の付く年は?【1989年後編】 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

「西武ライオンズにとって「9」の付く年は?」シリーズの第3回目は、1989年の後編として開幕からのチーム状況の流れと出来事を当時の新聞記事などをまじえて振り返ってみます。

 

【1989年順位:3位】

監督:森祇晶

130試合 69勝 53敗 8分 勝率.566

 

4月は開幕から波に乗れず19日~25日にかけて5連敗を喫し、最下位を低迷。

5月に入っても24日~30日に4連敗を喫するなど、浮上のきっかけをつかめないままBクラス内で浮沈を繰り返す。

6月に入り、新外国人のデストラーデの加入、ドラフト1位ルーキー渡辺智男がデビューし、いずれも新戦力として機能しチームもようやく歯車が噛み合い始める。

7月31日~8月4日にこの年初の4連勝をし、8月9日~15日にかけて6連勝、8月22日~26日にかけても5連勝し、開幕から突っ走っていたオリックスと近鉄の2強を猛追。

9月10日~19日には7連勝して、8月、9月は31勝13敗1分の快進撃。

9月16日にはとうとう首位に立ちました。

新聞スクラップより

首位を奪った後もチームは快走し、9月25日からの近鉄との直接対決3連戦を2勝1敗と勝ち越し、いよいよパ・リーグ初の5連覇が見え始めたこのあたりから、快進撃の反動が出たのか取りこぼしの試合がちらほらと。

投手陣に疲れが出たと同時に、元々課題であったストッパー不在の弱点を露呈し、試合の終盤に逆転されるシーンが目立ちました。

新聞スクラップより

 

極めつけは10月5日の対ダイエー戦。

3回までに8点をリードし楽勝ムードが一転、9回に8点を奪われ12-13の大逆転負けを喫してしまいました。

対戦相手、試合展開を考えると大事な終盤の時期に喫したこの試合の敗戦は、痛過ぎました。

 

それでも優勝目前までこぎつけ、近鉄、オリックスとの三つ巴の争いから頭一つだけリードした状況で迎えた10月10日から近鉄との直接対決3連戦。

初戦をこの年近鉄相手に相性抜群の成績を残していたエース渡辺久信で落としてしまう。

11日は雨天中止で、12日にダブルヘッダーが組まれる事になりました。

それでも西武が近鉄に連勝し、同じくダブルヘッダーでロッテと対戦するオリックスの結果次第で、この日にも優勝が決まる可能性がありました。

ところが、第1試合は序盤で4-0とリードしながらも郭泰源が近鉄・ブライアントに4回にソロ、6回には2打席連続となる満塁弾を浴び5-5の同点となり、8回には渡辺久信がまたしてもブライアントに3打席連続本塁打となる勝ち越し弾を浴び5-6の逆転負け。

第2試合はブライアントに4打数連続本塁打を浴びるなど、火の付いた「いてまえ打線」の猛攻に遭い14失点の大敗を喫してしまいました。

新聞スクラップ等より

最悪の結果となり、この日の連敗で西武の自力優勝は消滅してしまいました。

 

私自身は近鉄とのダブルヘッダーの日、夕方のニュースのスポーツコーナーで1試合目の敗戦を知り、2試合目はテレビ中継があったのですが、一方的な試合展開に途中からは、もう観ませんでした。

翌々日14日の近鉄・ダイエー戦も布団の中でダイエーを応援しながらラジオの中継を聴いていましたが、試合の途中で寝入ってしまいそのまま朝を迎え、朝刊を開いたら近鉄の優勝が決まっていたという思い出が残っています。

 

結局1989年はゲーム差0.5、勝率はわずか2厘差の3位で優勝を逃したシーズンでした。

 

そして最後に1989年と言えば西武ファンだけでなくプロ野球ファンにとっても衝撃的なニュース(事件)がありました。

9月23日のロッテ戦(西武球場)の4回、清原がロッテ・平沼投手から受けた死球に怒り、平沼投手に向けてバットを投げ付けた直後、マウンドへ向かって走り出し平沼投手へ跳び蹴りする乱闘を起こしました。

清原自身、初の退場処分を受け、厳重戒告・制裁金30万円・2日間出場停止の処分になり、連続試合出場も490でストップしました。

新聞スクラップより

清原ファンだった私にとっても夕方のスポーツニュースで見たこのシーンには、目を疑いましたし、衝撃を受けました。それと同時に残念な気持ちにさせられました。

今になって思えば、この時の制裁金30万円・2日間出場停止」の処分は随分と軽かった印象ですね。

 

西武ライオンズにとって1989年は波乱の平成スタートとなった年でした。

しかし、この年に味わった苦難と悔しさがあったからこそ、翌年からのリーグ5連覇、3年連続の日本一につながったのは確かだろうと思います。