「西武ライオンズにとって「9」の付く年は?」シリーズの第2回目は、1989年編です。
そう、あれから30年。「平成」という新しい時代の幕が開いた年です。
西武ライオンズとは関係ないのですが、当時、気に入って購入したテレホンカードです。
日本一の富士山同様、西武ライオンズも記念すべきこの平成元年も日本一になるだろうと信じていたのですが…。
今回は、前編として2017年にベースボールマガジン社から発売された「タイムトラベル1989」という野球カードと当時の新聞記事などをまじえて振り返ってみたいと思います。
【1989年順位:3位】
監督:森祇晶
130試合 69勝 53敗 8分 勝率.566
1989年に活躍した主な選手たち
BBM2018年タイムトラベル1989 No.57 辻発彦
選手会長としてチームのまとめ役を担いながらも2年連続で全130試合に出場。
自身初の3割(.304)をマークして、3年ぶりにベストナインとゴールデングラブ賞をダブル受賞。
盗塁数も33個でその成功率は、82.5%を誇りました。
走攻守全てにおいてハイレベルなパフォーマンスを披露した1989年でした。
BBM2018年タイムトラベル1989 No.58 田辺徳雄
1989年は、遊撃手のレギュラーを獲得し初めて規定打席に到達。
シーズン終盤まで首位打者を争い、リーグ2位の打率.316を記録。
ベストナインとゴールデングラブ賞も同時に受賞。
新聞スクラップより
7月1日の日本ハム戦では東京ドーム初となるランニング本塁打を記録。
満塁でのランニング本塁打は史上5人目でした。
BBM2018年タイムトラベル1989 No.55 渡辺智男
ドラフト1位入団も右肘の手術があり、初登板は6月と遅れたものの初勝利をあげてからはローテーションの一角を任されました。
新聞スクラップより
優勝を争った近鉄からは4勝をあげました。
新人王は惜しくも逃すも1年目から10勝(7敗)をあげる活躍でした。
BBM2018年タイムトラベル1989 No.59 秋山幸二
1989年は、自身初となる3割(.301)を打ち、31本塁打、31盗塁とあわせトリプルスリーを達成。
他にも史上7人目となる5年連続30本塁打以上の達成、7月13日の近鉄戦ではサイクルヒットの達成など打撃面で記録ずくめの一年となりました。
球場配布復刻新聞より
BBM2018年タイムトラベル1989 No.60 デストラーデ
前年大活躍したバークレオの不振もあり、6月に緊急来日。
6月20日のデビュー戦で初本塁打を放つと、その後も大活躍。
わずか83試合で32本塁打、81打点を叩き出しました。
新聞スクラップより
6月下旬にデビューしてから早速自慢の長打力を発揮し、7月6日から3試合連続本塁打を放つなど、その打棒で開幕から低迷していたチームを活気付けました。
AKD砲が誕生し、その後は他球団の脅威となりました。
BBM2018年タイムトラベル1989 No.56 渡辺久信
開幕から波に乗れなかったチーム状況の中、前半戦だけで9勝をあげる。
最終的に15勝(11敗)をあげエースらしい活躍を見せました。
特に近鉄戦には強く前年から7連勝、1989年も8月までに完封1を含む4完投で防御率も1.50と相性の良さを発揮していました。
しかし、10月10日の近鉄戦に敗戦投手になると、12日のダブルヘッダー第1試合でブライアントに決勝本塁打を喫するなど近鉄の反撃に遭い踏ん張り切ることができませんでした。
次回の後編へとつづきます。