★2018年9月30日に掲載したブログのアップデート版です★
(1981年西武ファンブックより)
小柄な体でキビキビと動く守りは華麗さが感じられる。
今シーズンは石毛、大原とのポジション争いが見もの。
バットを短く持って、シャープに振り切るバッティングは相手投手にとってはイヤな存在。
【1981年の行沢久隆】
西武在籍:3年目(28歳)、背番号8
打撃成績:97試合、226打数58安打、打率.257、4本塁打、22打点、3盗塁
1981年は、新人・石毛宏典が加入し、遊撃手のポジションを追われる形になったが、スティーブを三塁手から一塁手へコンバートしたチーム事情もあり、三塁手としての出場機会が増えた。
三塁手として67試合の出場が最多だったが、遊撃手として23試合、二塁手としても7試合に出場し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとしてチームを支えた。
8月9日対ロッテ戦で正真正銘の満塁本塁打を放った。
【1981年名場面】
8月9日(日) ○西武8-3ロッテ●
今度は「ホンモノ」行沢満塁1号
3回裏、西武は4-3と逆転に成功し、なお続く一死満塁の場面で行沢がロッテ・梅沢から満塁本塁打を放った。
「真ん中のストレート。グランドスラムなんて初めてです。」とコメントを残した行沢。
だが、行沢は、日本ハムのルーキー時代の1976年(昭和51年)4月29日、近鉄戦(後楽園)の8回一死満塁で高木からプロ入り「初ヒットが満塁ホームラン」の一撃を放ったものの、喜びのあまり一塁を回ったところで前の塁の走者・服部を追い越しシングルヒットに訂正された幻のアーチを放っている。
「今度は慎重に走りました」とも。
5年越しでの正式なプロ入り初の満塁本塁打となった。
(西武球場:観衆三万一千人)
写真:1981年(昭和56年)8月10日付 報知新聞
【当時の記事写真とコメント】
同じ東都大学の先輩として「石毛には意地でも負けたくない」と張り切る行沢選手
正遊撃手を争う行沢、自信の守備はライバル二人(大原、石毛)には絶対に譲れない。
【関連記事】