西武ライオンズタイムマシーン(第386回):1980年 行沢久隆 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1980年西武ファンブックより)

守りでは、山崎との二遊間コンビで華麗なプレーを展開する。
だがショートの定位置を不動のものにするには、もう少し打率を上げたい。
バットを短く持ってシャープに振ることに徹底しているので、今年はいけそうだ。

 

【1980年の行沢久隆】
西武在籍:2年目(27歳)、背番号8
打撃成績:81試合、181打数49安打、打率.271、3本塁打、18打点、3盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:5試合、10打数1安打、打率.100、0本塁打、0打点、0盗塁

1979年シーズン途中に日本ハムから移籍し、西武では遊撃手のポジションに定着。
西武移籍2年目の1980年は、開幕戦から9番・遊撃手で先発メンバーに名を連ねた。
しかし、調子が上がらず4月途中から約1か月は大原にその座を譲った。
5月に入り再び行沢が奪い返すと、打率も2割台後半をキープし続け、6月10日にシーズン第1号本塁打、同27日に第2号も放ち、7月末まで行沢が主に遊撃手で起用された。
しかし、8月から9月途中まで離脱。
復帰後9月18日対南海戦で約2ヶ月ぶりにスタメン起用されたが、その後はシーズン終了までのほとんどの試合で大原が遊撃手として先発起用され続けた為、行沢は途中出場に限られた。
10月5日対ロッテ戦ダブルヘッダー第2試合で行沢が久々に先発起用されると3号2ラン本塁打を放ちその一打がそのまま2-1の勝利に繋がった。
後半戦は、チームに貢献できずにいたが最後に意地を見せた。

 

【1980年当時の記事写真とコメント】

ライバルが多くなって守りだけでなく打撃がみもの

山崎とのキーストンコンビがすっかり板についた。
だが今年はライバルが多くなったので、うかうかしていられない。
打率をもう4分は上げて2割5分は確実に打ってもらいたい。

 

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