西武ライオンズタイムマシーン(第310回):1979年 行沢久隆 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1979年の行沢久隆】
西武在籍:1年目(26歳)、※シーズン途中に日本ハムから移籍、背番号8
成績(西武移籍後):68試合、41安打、打率.218、5本塁打、12打点、6盗塁

 

1975年ドラフト会議で日本から2位指名を受け団。
入団1年目の1976年4月29日対近鉄戦では、プロ入りわずか3打席目にして初本塁打となる満塁本塁打を放ったが、直後に興奮のあまり一塁走者を追い越してしまい野球規則でアウトとなり、幻のプロ1号本塁打となってしまった。
1976年から1978年までの3年間で計267試合に出場し、遊撃手の半レギュラーとして一軍に定着し続けた。

1979年シーズン途中に吉岡悟との交換トレードで西武へ移籍した。
この年西武は開幕から遊撃手のポジションが固定できずにいた。
伊原、金城、益川、大原、広瀬らを使いまわすなど苦労していたが課題は解消される気配がなかった。

一方の日本ハム・行沢は、入団一年目からの3年間は一軍で活躍していたが、1979年は開幕から出番がほとんどなかった。
6月2日対近鉄戦では、プロ入り初となるレフトの守備に着くなど戦力としても微妙な立場になっており、わずか6試合しか出場機会がなかった。
そこで西武が抜群の守備力を誇った行沢に狙いを付けて獲得に成功した。
行沢も日本ハムから他球団へ移籍した方がこの先チャンスがあるだろうと思っていたところに西武へのトレード話が来て喜んだという。

移籍後、初出場したのは6月23日対阪急戦で、早速9番・遊撃手として先発で起用された。
その後も、ほとんどの試合で遊撃手として先発出場し、68試合に出場した。
移籍した西武で完全に遊撃手のレギュラーに定着し、チームにとっても行沢にとってもトレードは成功だった。