西武ライオンズタイムマシーン(第5回):1998年 中嶋聡 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1998年の中嶋聡】

西武在籍:1年目、背番号:5

成績:60試合、25安打、打率.236、本塁打2、打点7、盗塁0

 

1997年オフにFA宣言しメジャーリーグ挑戦を表明も契約が折り合わず断念。
その後、西武と日本ハムが獲得に乗り出し最終的に西武への移籍を決める。
この時の中嶋が西武にとってFAで獲得した第1号の選手であった。

 

BBM1998年 No.169

 

1998年タカラプロ野球カード

 

BBM1998年日本シリーズ No.S40

1998年の日本シリーズでは、第1戦、第2戦と精細を欠いた伊東に代わって第3戦からスタメンでマスクをかぶり、打撃でも1本塁打を放つなどチームタイの4打点を記録した。

 

※直筆サインは、いずれも西武在籍時にご本人から書いて頂いたものです。

 

中嶋聡
西武在籍期間:1998 - 2002年(5年)
西武通算成績:324試合、135安打、打率.211、本塁打6、打点65、盗塁3

 

1995年オリックス日本一のメンバーで正捕手。

1997年オフにFA宣言しメジャーリーグ挑戦を表明も契約が折り合わず断念。その後、西武へ移籍
2002年オフにトレードで横浜へ移籍。

2003年オフに日本ハムへ移籍。コーチを兼任しながらも現役を続け2015年に引退。

NPB一軍実働年数29年はタイ記録である。