訃報…、宝生英照師 (ノ_・、) | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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 <訃報>宝生英照さん52歳=能楽師宝生流シテ方

宝生英照さん52歳(ほうしょう・ふさてる=能楽師宝生流シテ方、同流十九世宗家)17日、心不全のため死去。葬儀は近親者のみで営み、しのぶ会を後日開く。喪主は長男で二十世宗家の和英(かずふさ)さん。

 十八世宗家、宝生英雄の長男。東京芸大音楽学部卒。父の死に伴い95年に宗家を継承したが、病気療養のため08年、和英さんに後を託した。

 

 

日曜日の夜に能友からメールが来ました。五雲会の話かなぁ(カノジョは横浜で「道成寺」を観に行ってた)と思ったら、この件でした。

 

 

 

     ショック…。

 

 

実は金曜日のお稽古の時になぜか話題になっていたのです。虫の知らせか、ウチのお師匠様のところに実はいらしていたのか…。何とか良くなってもう一度舞台に立って欲しいと思っていたのに…。52歳なんて若すぎる…。

 

 

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ワタシはそう沢山は英照師の舞台は見ていません。お稽古を始めて興味がでてきた頃には病気療養なさってたので…。
聞くところによれば、天才肌の方で、宝生流180曲のうちでも殆ど舞台にかけられていなかったような曲を復活上演したり、お正月の月並能の初版を翁付で上演したり、なかなか意欲的だったとのこと。

 

 

印象に残っているのは「調伏曾我」
前シテが工藤祐経で、後シテが不動明王、というもので、これも英照師が復活上演したものだそうです。シテは英照師ご自身が勤めておられました。

 

 

   頼朝の箱根参詣の折、箱王は父の仇工藤祐経をその中に見つけこれを討とうとしたが、箱根別当に
   留められた。そして箱王の為に祐経調伏の祈祷をすると不動明王が現れ、祐経の形代を斬り本望を
   達すべき霊験を示した。→公益社団法人能楽協会の曲目データベースより引用。

 

 

確か、箱王は子方(その時はもう声変わりしてた中~高校生ぐらいの子、今きっと地謡に座っている若手の誰か)で、箱根別当ってワキだったかなぁ。夜能だったような記憶があります。

 

 

それから、東京大薪能での「井筒」
たしかお台場の潮風公園で、遠くからでもあの井戸をのぞく姿がくっきり印象に残ってます。
妙に色っぽかった。

 

 

そして、ワタシが最後に見たシテは別会での「七人猩々」
病気上がりの舞台だったので精彩にやや欠けていたけれど、やっぱり堂々たるシテだったなぁ。

 

 

最後に、五雲会だったか英照師が地頭だった時のことを…。
詳しいことは忘れてしまったけれど、その時後シテの装束(長絹だったかなぁ)か何かがちょっと乱れてた?(見所のワタシも気になってた)ところを、隣に指示して(確か指示されたのは渡邊荀之助師だった)直させに行かせたのを憶えています。
そういう時、普通だったら地頭はそこまで(地謡に全責任を持ってるので)やらないけれど、シテの装束の乱れなんかは後見からは気づきにくいものだし、シテに万全の演技をさせる為の責任というか気配りを怠らない、さすがお家元!といたく感服したことがありました。

 

 

 

52歳なんて、芸の道からいけばまだまだ若手のうちなのに…。何とか回復していただきたかったのに…。
残念でなりません。

 

 

 

ご冥福をお祈り申し上げます。(:_;)…。合掌…。