一月は五雲会を逃したけれど、代りにちょっとBIGな(チケットが高かった…)舞台を堪能、おサイフは完全に冬型気圧配置でございますが、心は春風…。ふっふっふ。
しかし、この春風をどうお伝えしようかと悩んでいるといつまでも記事アップができないので、気の向くまま、これらBIG舞台?の感想やらなにやらを、順不同で書いて参りたく存じ候。
さあさ、何はさておき「船弁慶」から、始めましょう。
1月30日に明治座で観世(こちらは半能)、31日に国立能楽堂で宝生(小書付)。
「船弁慶」は人気曲でもあり、そのストーリーは誰もが知るところだとは思いますが、ちょっとだけおさらい。
1月30日に明治座で観世(こちらは半能)、31日に国立能楽堂で宝生(小書付)。
「船弁慶」は人気曲でもあり、そのストーリーは誰もが知るところだとは思いますが、ちょっとだけおさらい。
兄頼朝と不和になり都落ちを決意した義経は、弁慶ら一行と大物の浦へ向う。静御前との名残惜しい別離を済ませ船出すると天候が急変し、激しい荒波と共に平知盛の亡霊が現れる。しかし弁慶の懸命の祈祷により亡霊は退散する。 観世は五番目物で季節は11月、宝生は切能で季節は秋 ☆社団法人能楽協会HPの曲目データベースより引用☆まずは明治座での観世の舞台。シテは片山清司師、井上八千代師の弟君です。一度はシテを拝見してみたかったので、番組をよく確認していなかったのですが、なんと半能じゃあアリマセンカ~! ちょっとがっくり来ました。まあ時間の都合上仕方のないことです。前半の静御前も拝見したかったんだけどな~。
ということで、能舞台でない、明治座の舞台での半能「船弁慶」♪
ストレートな感想は、舞台の大きさがアダになった、に尽きると思います。
明治座の広い舞台の中央に簡易?能舞台がしつらえてあり、松羽目なしのホリゾントにはブルーの照明が当たっており、全体としてみれば大物の浦から見渡す海という印象を受けます。
が、舞台が広く天井が高く、舞台の中央で演者達が余計にちまっと小さく見えてしまい、こう、何ていうか、エネルギーが散逸して(このお能の面白さが薄まって)何だかホントに波打際の砂浜で演能している感じです。それが非常に残念。
明治座の広い舞台の中央に簡易?能舞台がしつらえてあり、松羽目なしのホリゾントにはブルーの照明が当たっており、全体としてみれば大物の浦から見渡す海という印象を受けます。
が、舞台が広く天井が高く、舞台の中央で演者達が余計にちまっと小さく見えてしまい、こう、何ていうか、エネルギーが散逸して(このお能の面白さが薄まって)何だかホントに波打際の砂浜で演能している感じです。それが非常に残念。
ちょっと脱線しますが、視覚に「最遠平面」というのがあるそうで、それは遠くにあるものは小さく見える、という距離感と物体の大きさの関係とが正しく認識できなくなる距離なのだそうです。たとえば月や星は夜空という平面にいるかの如くに見えますね。そして幼い子供はその距離が短く、教会の塔の上にいた人を人間として認識できず、お人形だと認識するのだそうです。この日の「船弁慶」もそんな風に見えました。
で、この(お人形の)話がやけに印象的だったので、ワタシはかなり後方の席で舞台を鑑賞する時には、時々自分の目の前に手のひらを(チョ~ダイの形にして)舞台と同じ高さになるように調節し、ちっちゃな能楽師達を載せて舞台を楽しんでいます。ちょっとお釈迦様になった気分よ。皆様もお試しあれ~♪
コレ、学生時代に読んだ本の記憶だけで書いていたのだけれど、ちょっと心配になって調べたらユクスキュル/クリサート著「生物から見た世界」がそれらしいです~。
で、この(お人形の)話がやけに印象的だったので、ワタシはかなり後方の席で舞台を鑑賞する時には、時々自分の目の前に手のひらを(チョ~ダイの形にして)舞台と同じ高さになるように調節し、ちっちゃな能楽師達を載せて舞台を楽しんでいます。ちょっとお釈迦様になった気分よ。皆様もお試しあれ~♪
コレ、学生時代に読んだ本の記憶だけで書いていたのだけれど、ちょっと心配になって調べたらユクスキュル/クリサート著「生物から見た世界」がそれらしいです~。
さて、とはいっても残念ばかりでなくこういう大舞台ならではの演出もございました。
平知盛(後シテ)の登場は、なんと!花道のスッポンからの登場です。まさに「波間に浮かみてみえたるぞや」そのもので、客席がどよめきました。パチパチパチ! カッコイイ~!
シテの装束は白地の狩衣に紺色の波模様の半切、舞台に映えていかにも平家の公達といった風情です。実際、このシテは荒々しさよりもスマートで雅な印象が強かったです。もちろんカラダは切れるし平知盛として不足はないのだけれど、このシテの個性?なんでしょうか?京都の方だし…。
平知盛(後シテ)の登場は、なんと!花道のスッポンからの登場です。まさに「波間に浮かみてみえたるぞや」そのもので、客席がどよめきました。パチパチパチ! カッコイイ~!
シテの装束は白地の狩衣に紺色の波模様の半切、舞台に映えていかにも平家の公達といった風情です。実際、このシテは荒々しさよりもスマートで雅な印象が強かったです。もちろんカラダは切れるし平知盛として不足はないのだけれど、このシテの個性?なんでしょうか?京都の方だし…。

ただ、舞働キ(この時に知盛が長刀で義経に襲いかかる)が終わったあと常座(舞台下手奥)で長刀を肩に担いで留まる(宝生の謡本の挿絵をご覧ぜよ)と、観世では子方が、「そ~の~と~き~よ~し~つ~ね~す~こ~し~も~さ~わ~が~ず~」 と(宝生は地謡が)謡うのだけれど、ドンピシャの間にならず、ちょっと途切れた感じに…。(>_<;)
子方に絶妙の間で謡えというのは無理と思うし、ここは宝生の地謡がブンブン謡う方がイイな~、と思ったワタシ…。
この場面以降の地謡も、宝生だと一定の調子で畳み掛けるように謡うのですが、この日(観世?)は緩急があって波がうねるような感じ。特に「又引く汐にゆられ流れ」の辺りは知盛が太刀を両手で肩に担いでぐるりぐるりと回って遠ざかってゆくところで、宝生ではスピードを落とさず最後までぶっちぎるのに対して、観世はスピードを落として(知盛の亡霊が波間を漂っている感じを強調しているのかな?)謡っていたように思いました。
そして最後は、これぞ大舞台の醍醐味、花道をダ~っとかけてシテが退場!
花道ってさぁ、橋掛リより幅が狭い(半分ぐらいな)んだよね~。コワイだろうな~。でもそんなことを微塵も感じさせないシテ、でした。
ワタシは花道の出入り口すぐ近くの席だったので、シテが引っ込む時にはかなり近くで見ることができたのですが、面は「怪士」ではなかったような…。何だろな~?
花道ってさぁ、橋掛リより幅が狭い(半分ぐらいな)んだよね~。コワイだろうな~。でもそんなことを微塵も感じさせないシテ、でした。
ワタシは花道の出入り口すぐ近くの席だったので、シテが引っ込む時にはかなり近くで見ることができたのですが、面は「怪士」ではなかったような…。何だろな~?
と、ここまで書いたけど、長くなるので宝生の分はつづきで…!