先週の木曜日、地下鉄に乗り換える駅で売店に寄ったところ、ふと目についたのがコレ…。中身も見ずに思わず買いましたとも!
◎一冊丸ごと大特集 易しい解説で、敷居がぐっと低くなる
今こそ目したい、日本人の美意識の原点
「能・狂言」幽玄なるこころの旅
今こそ目したい、日本人の美意識の原点
「能・狂言」幽玄なるこころの旅

「サライ」のターゲットとする読者の年齢層が比較的高いせいもありますが、こういった特集にありがちな、本当にあっさりと上澄みをさらうみたいな記事の書き方よりは遥かに深く踏み込んでいて、ズブズブの素人も、お稽古している人も、かなりに楽しめる内容になっていると思います。(表紙もキレイで目をひくし…)
そして、「第1部 能・狂言 基本のき (1)」では、実際の舞台に取材して「能の進行」として、なんと最後の夜能の「三輪」 を時系列で紹介しています。→見逃した方はぜひ当日の雰囲気を味わって下さいませ♪
さらに舞台で使われる装束、面の紹介が美しい写真で紹介されています。
(協力は宝生流二十世宗家宝生和英、と欄外に注記が…♪)
(協力は宝生流二十世宗家宝生和英、と欄外に注記が…♪)
また、現代の能楽五流を代表する方々がご自身の言葉で流儀を紹介するページは、なまじのガイド本よりもずっと分かりやすく魅力的です。(直近の演能情報まで記載されてます♪)
観世流:世阿弥の幽玄美を伝える五流最大の流派(野村四郎師) 宝生流:「謡宝生」の名で知られる渋く抑制された舞台(高橋章師) 金春流:素朴と華麗を併せ持つ最も古い歴史を持つ流儀(本田光洋師) 金剛流:奈良と京の文化が相和す「舞金剛」の豪放と華麗(豊嶋三千春師) 喜多流:武士道精神が流れる質実剛健な芸風(香川靖嗣師) (サライ5号36~40頁より引用)
さらに「第2部 能・狂言 基本のき(2)」で、根本を知ると題して能のたどった歴史、そして誌上「翁付」五番立てが味わえます。「第3部 全国能楽鑑賞の旅」は旅好きの興味もそそります。
でも、ワタシが一番感銘を受けたのが、片山九郎右衛門師のインタビュー記事です。
もう、全部をご紹介したいぐらいなんですがそれはできませんので、ちょっとだけ…。
もう、全部をご紹介したいぐらいなんですがそれはできませんので、ちょっとだけ…。
《初心忘るべからず》という語句がありますね。世阿弥が室町時代に書いた『花鏡』でいうてます。
ところが最近では、この意味を取り違えて、“初心に返る”という意味で使っているようです。物事を始めた頃の純粋な気持ちに帰って頑張る、というように。しかし、本来の〈初心〉とは芸の未熟さをいうんやから、使い方が間違うとるんです。初心に返って、芸が下手になっては困ってしまいますわ。
例えば、同じく世阿弥は《老後の初心忘るるべからず》ともいうてます。これは老境に入った段階の芸の未熟さを、老後に及んでも忘れずにいて稽古に精進せよ、ということです。常に自らの芸の未熟を戒め、稽古をして上達しようとする姿。これが初心忘るるべからずの本来の意味なんですよ。とにかく能楽師は稽古に稽古を積み、さらに稽古をし、その家でなお稽古を積む(笑)。そのくらいの覚悟をしていかなあかんですね。
(サライ5号13頁より引用)
ところが最近では、この意味を取り違えて、“初心に返る”という意味で使っているようです。物事を始めた頃の純粋な気持ちに帰って頑張る、というように。しかし、本来の〈初心〉とは芸の未熟さをいうんやから、使い方が間違うとるんです。初心に返って、芸が下手になっては困ってしまいますわ。
例えば、同じく世阿弥は《老後の初心忘るるべからず》ともいうてます。これは老境に入った段階の芸の未熟さを、老後に及んでも忘れずにいて稽古に精進せよ、ということです。常に自らの芸の未熟を戒め、稽古をして上達しようとする姿。これが初心忘るるべからずの本来の意味なんですよ。とにかく能楽師は稽古に稽古を積み、さらに稽古をし、その家でなお稽古を積む(笑)。そのくらいの覚悟をしていかなあかんですね。
(サライ5号13頁より引用)