十二月月並能の感想 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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雨は降る降る…、田原坂でも城ヶ島でもない水道橋の能楽堂へと通う女にて候。
十二月の月並能、ただただ「黒塚」の為にチケット買っちゃった、と言ってもいいぐらいのノリの上、指定席に油断いたしまして、ちょっくら遅刻したので後ろの空席に滑り込みました。
 ココ→十二月 宝生月並能

 

ちょうどツレ&シテが登場した所に間に合いました。
「絵馬」は12月の定番能と言っても良いぐらいな演目で、ワタシも何度か拝見しています。そう言えば金沢でも素謡が「絵馬」でしたね~。
これを観ると「そうだ、伊勢、行こう!」という気持ちになります、って思いっきりパクってますけど~。f(~_~;)
大炊の帝の臣下が勅命により伊勢斎宮にやって来る。そこに老人夫婦が絵馬を手に現れ、節分の夜に絵馬を掛ける神事を行い、夜半に紛れて去って行く。待つ程に天照大神と男女二神が舞を舞い、岩戸隠れの様を見せる。
初番目物、季節:冬
  ☆社団法人能楽協会HPの曲目データベースより引用☆
「絵馬」は前半に尉と姥、後半に男神&女神にシテ、というパターンで、「嵐山」と同じ構成です。間狂言には末社の神だったり、今回は鬼だったけど、いくつかパターンがある模様。ああ~、それにしても一度観たいのが「嵐山」の間狂言の「猿聟」!

 

 

さて、実はこのツレの姥を務める方は去年も同じこの「絵馬」のツレの姥をなさっいる、伝説の道成寺の方。確かに脇能のシテツレの同吟ってすごく難しいと思いますけどね~、それでも去年よりはややヨロシイとは思いますけどね~、頼みますよ…、って感じかしら。(-゛-;) シテだってツライでしょうに…。

 

 

後半が始まると華やかに神楽が始まり、女神(天鈿女命、御幣を持つ)と男神(手力雄命、榊を持つ)が登場し、相舞で神楽を舞います。この二人が実にまた良く揃って、若々しく気持ちの良い舞を見せてくれます。
神楽の三段目が終わるところで、二人は常坐の辺りで橋掛リを向き、シテを招きます。ここから扇に持ち替えて中ノ舞と同じ型になり舞い終えた後に、シテ(天照大神)登場。
神舞を華やかに舞った後に(天岩戸に見立てた)作り物の中に隠れます。
宝生ではシテは男体で天照大神なのですが、他流では女体の天照大神だとか、一度他流の「絵馬」を拝見したいものです。
最後は再びツレの女神と男神とが、外を覗いたシテを表に出して終わります。

 

 

笛がイイよな~、と思っていたらやっぱり松田さんでした♪

 

 

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蝉丸は去年初めて観て、メチャクチャ感動したお能です。今回「黒塚」ばかりに気を取られてノーチェックだったんだけど、シテはなんと今井泰男師でした。
いや~ん、観られて良かった~。なんと、そういえば2番続けて親子の共演ですね。
延喜帝の皇子蝉丸は、生まれつきの盲目のため逢坂山に捨てられ、悲しみの琵琶を弾く。逆髪の姉君も不遇に狂乱し、放浪の末琵琶の音に誘われて弟と出会う。幸薄い我が身の宿業と互いの悲運を泣き合う人間の姿が描かれる作品。
四番目物、季節:秋 
  ☆社団法人能楽協会HPの曲目データベースより引用☆
なんでも、戦時中は不敬に当たるというので上演が禁じられていたという蝉丸。百人一首の坊主めくりでも不人気の蝉丸。ホントに可哀想なんです。

 

 

高貴の身でありながら生まれつきの盲目の為、後世を救わんが為としても、逢坂山に捨てられてしまうのです。それも杖一本だけで…。
間狂言で、博雅三位が尋ねてきて藁屋を提供してくれるまで野晒しなんですよ~。今回は山本則直師はちょっと博雅三位って感じじゃあないんですけれど…。で、蝉丸は杖を頼りに藁屋の中に入って、ここまでが前半。

 

 

ここからシテが登場です。逆髪登場。
狂女の様で、都を抜け逢坂山まで道行するのですが、京童達に髪の逆立っているのが可笑しいと笑われると「逆さまの髪が可笑しいか、そなた達が私を笑うのこそ身分が逆さまで可笑しいではないか」と橋掛リで謡うのですが、ここがすばらしく、もうゾクゾクっとします。
舞台に入り、仕舞にもなっている所であちらこちらを彷徨い歩いた末に、琵琶の音を聞きつけ、ついに姉弟の再会となります。
ここで、「弟(オトト)の宮か」「姉宮か」と二人まろびて再会するところなど、もう涙なくては観られません。

 

 

ここから居グセとなります。

 

 

今回、ワタシは脇正面の比較的前の方だったのですが、この位置はいろいろ正面から見えないことが見えて、大変興味深かったです。
たとえば、今回後見をなさった朝倉師ですが、シテが出てきてからずっと謡を口ずさんでいるのがよくわかりました。(微かに口元が動くだけなんですけど)
さらに今井泰男師が立つときにさりげなく後ろに控えて、正面から見えないように左足の足先を返すアシスト(足先さえ返れば多少痺れていても回復して立てる。痺れすぎてると自分で足先が返せない)をしているのをバッチリ目撃いたしました。
なんかちょっと感動。ちょっとしたことですが、後見ってこういうところにも気を使うのね、と思いました。

 

 

今回の「蝉丸」も非常に素晴らしかったのですが、ツレの方は「ああ~、なぜここで~」という微妙なところでちょいちょい…です。「三井寺」の時もそうだったけど、素晴らしいのに微妙な…、そういう愛すべき天然の方らしいです。

 

 

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今回一番の目的であった「黒塚」、何と今月二度目の鑑賞です♪
こんなこともあるのね~。

 

 

で、一言で言えば…、もう そのまま じゃ~ん。

 

 

すべてが自然で、これ以上の「黒塚」はないって感じです。謡も何もかもが、そのまんま「黒塚」の女(老婆)です。
ワクカセ輪を繰るあたりでは、脇正面からは真横から観る感じになります。そうして観ていると、襟元が着附で開けてないように(普通の打ち合わせのように)見えます。
え~、そういう着方があるのかしら、と思って動いた時をみると、確かに開けてはあるのですが、なんだかクシュクシュって感じで、よく痩せたちいちゃなおばあさんが着物を着たときみたいな感じなの。もうぐうの音も出ない感じです。

 

 

それで、面の使い方が素晴らしく、なんとも言えない悲しげな憂いを帯びた表情をするのです。
でもこれも、ぜんぶ自然になさっているのね、きっと。

 

 

  なうなう、わらはが帰らんまで。此閨の内ばし、御覧じ候な。
  此方の客僧も、御覧じ候、なぁぁ。

 

 

この箇所も、さりげなくていて、底知れぬ不気味さが漂い、七宝会の「黒塚」での鳥肌がたったけど、それ以上のものがありました。スゴイです。

 

 

後半は、最後の力をふりしぼって対決するって感じがひしひしと伝わってきて、ここでもワキが 特に悪役に 見えてしまいました。

 

 

 

今井泰男師にしても、近藤乾之助師にしても、長年この道一筋に精進なさってきて、「守・破・離」といわれるその境地の「離」をも既に離れて、なんだか幼子のように無邪気に自然に役と一体化しているように思えた、今年最後の月並能でした。