う~ん、この記事もボチボチと暇をみつけてはメモっていたのですが、アップにまで1週間を費やしてしまいました。時間がかかった分、長文になってしまいました。
(狂言は…、今回ほとんど爆睡していました。お恥ずかしい…。)
(狂言は…、今回ほとんど爆睡していました。お恥ずかしい…。)
「呉服」は以前に一度拝見したことがあり、その時には機台(ハタダイ)の作り物が舞台に置かれていました。プログラムの解説によると「近年ある若手職分に器用な人がいて見事な機台を復元させました」とあります。じゃあ、前回はその時に当たったのかなぁ。でも、今回は機台はありませんでした。しかし機台が無いと、この曲はちょっと地味かもしれません。
シテ&ツレは異国風の装束(唐織を着附にした上に法被をちゃんちゃんこみたいに羽織る)で登場します。ツレは、ツレがよく着る白&赤の大きめの市松地に花模様の唐織に黒金ベースの法被、シテはもっと豪華な濃い橙色(ほとんど朱色?)の花柄の唐織に赤いの法被です。でも、シテの法被はなんだか身幅はあるのに丈は短めでモタっとしているし、唐織の色と法被の色が似たような感じなので、シテなのにちょっとシホタレタ感じがしてしまいました。
宝生でよく出てくるツレの小面は非常に愛らしい顔をしています。シテのは「増」かなと思いますが、ちょっと猫背っぽい感じでクモリがちだったので、あまり美女には見えないのが残念です。
しかしシテとツレは声質が似ているのか、同吟では非常によく合い、美女二人が謡っている感じが良く出ています。そう言えば、シテで小倉健太郎師を拝見したことがほとんどありませんでした。こんな謡い方をする人だったんだ~、とちょっと意外な気が…。
後半は女神として登場、濃い小豆色に金の唐草模様の舞衣に白大口が美しいです。今日は三番目物の「六浦」で長絹が出るからこっちは舞衣なんだろうな~、と思いつつ拝見。
しかし、徹夜明けで観る脇能はツライです。ときどき完全にトリップしてしまいました。
脇能ってちゃんと謡が楽しめないと、ストーリー自体に面白さはないので、堪能しきれなかったなぁ~、とちょっと反省の次第です。
住吉参詣のあとに呉服の里に立ち寄ると、二人の異国風の衣裳をまとった美女が機を織っているのに出会い、それは呉織(クレハドリ)と綾織(アヤハドリ)という織姫の霊であった、というもの。脇能なので、当今に仕える臣下が登場すると、ラジオ体操の伸びて縮んでみたいなポースを取ります。聞いた話だと、このポーズ1回で長距離移動を表わすんだとか…、ホント?
シテ&ツレは異国風の装束(唐織を着附にした上に法被をちゃんちゃんこみたいに羽織る)で登場します。ツレは、ツレがよく着る白&赤の大きめの市松地に花模様の唐織に黒金ベースの法被、シテはもっと豪華な濃い橙色(ほとんど朱色?)の花柄の唐織に赤いの法被です。でも、シテの法被はなんだか身幅はあるのに丈は短めでモタっとしているし、唐織の色と法被の色が似たような感じなので、シテなのにちょっとシホタレタ感じがしてしまいました。
宝生でよく出てくるツレの小面は非常に愛らしい顔をしています。シテのは「増」かなと思いますが、ちょっと猫背っぽい感じでクモリがちだったので、あまり美女には見えないのが残念です。
しかしシテとツレは声質が似ているのか、同吟では非常によく合い、美女二人が謡っている感じが良く出ています。そう言えば、シテで小倉健太郎師を拝見したことがほとんどありませんでした。こんな謡い方をする人だったんだ~、とちょっと意外な気が…。
後半は女神として登場、濃い小豆色に金の唐草模様の舞衣に白大口が美しいです。今日は三番目物の「六浦」で長絹が出るからこっちは舞衣なんだろうな~、と思いつつ拝見。
しかし、徹夜明けで観る脇能はツライです。ときどき完全にトリップしてしまいました。
脇能ってちゃんと謡が楽しめないと、ストーリー自体に面白さはないので、堪能しきれなかったなぁ~、とちょっと反省の次第です。
ところで、一昨年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で、主人公の山内一豊の妻の千代が、唐織をパッチワーク風に工夫していたのが、お能の装束の意匠となっているって話がありました。 で千代紙というのも、その千代の名前から取ったんだとか…。。* * * * * * * * * * * *
今回あまり気にならなかった演目が実はこの「大仏供養」でした。しかし珍しい演目だし観てみようかな~、ぐらいのノリだったのに、これがまあ見事に裏切られた素晴らしい舞台でした。
さて、まず笛の方もワタシは初めてでした。若いけど雰囲気のある佳い音色です。後見に付いたのが藤田朝太郎師なのでご子息かな?お弟子さんかな?
小鼓の方は、ボクいくつ?、って聞きたいぐらい若く、高校生ぐらいに見えます。最初は緊張してか微妙に遅れ気味でしたが、なかなかどうしてこちらもキレの良い元気な音で大鼓に負けちゃいません。(ただ小鼓の裏革を舌をベロ~っといっぱいに出して大胆に舐めた時にはちょっと笑いそうになってしまいました。)
大鼓は今回はいつになく大音量でバッキンバッキン打ってます。この演目の後半(と小鼓パワー)に合わせたと思う(後半はとても良かった)のですが、前半は景清とその母との今生の別れという心理描写中心なので、こちらはもう少しコントロールして欲しかったなぁ、と思いました。
あらすじは、東大寺に源頼朝が大仏供養に来たところを狙って、平家の残党の悪七兵衛景清が暗殺を企てるが失敗して落ち延びる、というもの。う~ん、ミもフタもないなぁ…。 史実としては、源頼朝の大仏供養はあったとのことですが、景清の襲撃はなかったそうです。この一番、演者は若手(それもシテ&ツレはみな書生さん達!それに子方)ばかりで構成されています。来年度の予定番組もそうですが、五雲会は本格的に若手中心になってゆくみたいです。
さて、まず笛の方もワタシは初めてでした。若いけど雰囲気のある佳い音色です。後見に付いたのが藤田朝太郎師なのでご子息かな?お弟子さんかな?
小鼓の方は、ボクいくつ?、って聞きたいぐらい若く、高校生ぐらいに見えます。最初は緊張してか微妙に遅れ気味でしたが、なかなかどうしてこちらもキレの良い元気な音で大鼓に負けちゃいません。(ただ小鼓の裏革を舌をベロ~っといっぱいに出して大胆に舐めた時にはちょっと笑いそうになってしまいました。)
大鼓は今回はいつになく大音量でバッキンバッキン打ってます。この演目の後半(と小鼓パワー)に合わせたと思う(後半はとても良かった)のですが、前半は景清とその母との今生の別れという心理描写中心なので、こちらはもう少しコントロールして欲しかったなぁ、と思いました。
シテの東川尚史(ヒガシカワタカシ)さんは、青雲会の時にも謡がいいなあ~、と思っていましたが、この日も気合いが入った謡が素晴らしいです! 黒の笠を被って登場。道行のあと舞台に入り、いよいよ討死覚悟の悪七兵衛景清が母と対面し、今生の別れのシーンとなります。
この母ですが、やはり若いです。母って、小袖曽我もそうですが、ツレだけれども重要な役どころ、だと思います。プログラムには「剛勇無双の勇士をも泣かせる母親の無私の慈愛の言葉」とありましたが、未熟なワタシにはあまり伝わってきませんでした。
後半は、頼朝(子方)を先頭に、側近筆頭(ワキ)・立衆(ツレ)と続きます。そして6人が向かい合って本日の大仏供養の旨を謡います。
その後全員が着座してから、後ジテ登場。法被&白大口に太刀を佩き、その上に神官の狩衣&烏帽子を付け萩箒を持ち、変装している訳です。東川さん、全身から暗殺者のオーラがめいっぱい出ています♪ 景清になり切ってますね♪
舞台に入るとワキが警戒する中、シテは萩箒で舞台を丸く掃き清めるようにしながら(ワキ座にいる)頼朝の方へ次第に勢いを増して迫ります。それを阻止するワキ。ワキの舘田さんもスゴイ迫力! 見所で観ているワタシも思わず力が入ります。
ここで「お前は何者だ?」「ここを掃き清めているだけだ」という問答があり、暗殺者の登場に立衆達も色めき立ちます。シテは後見のところにいって狩衣&烏帽子を脱ぎ、戦闘準備。立衆2名&頼朝&ワキは切戸口から退場。ワキがしんがりで避難した形です。
そして、残った筆頭立衆とシテとの斬組となるのですが、「忠信」なんかと違って1対1でごくあっさりと終わり、シテは落ち延びて三ノ松のところで、時節を待つべしと留拍子で終わります。
短いけれど変化が多く、シテの気合の入った謡と演技とで、非常に素晴らしい一番でした。
この母ですが、やはり若いです。母って、小袖曽我もそうですが、ツレだけれども重要な役どころ、だと思います。プログラムには「剛勇無双の勇士をも泣かせる母親の無私の慈愛の言葉」とありましたが、未熟なワタシにはあまり伝わってきませんでした。
後半は、頼朝(子方)を先頭に、側近筆頭(ワキ)・立衆(ツレ)と続きます。そして6人が向かい合って本日の大仏供養の旨を謡います。
その後全員が着座してから、後ジテ登場。法被&白大口に太刀を佩き、その上に神官の狩衣&烏帽子を付け萩箒を持ち、変装している訳です。東川さん、全身から暗殺者のオーラがめいっぱい出ています♪ 景清になり切ってますね♪
舞台に入るとワキが警戒する中、シテは萩箒で舞台を丸く掃き清めるようにしながら(ワキ座にいる)頼朝の方へ次第に勢いを増して迫ります。それを阻止するワキ。ワキの舘田さんもスゴイ迫力! 見所で観ているワタシも思わず力が入ります。
ここで「お前は何者だ?」「ここを掃き清めているだけだ」という問答があり、暗殺者の登場に立衆達も色めき立ちます。シテは後見のところにいって狩衣&烏帽子を脱ぎ、戦闘準備。立衆2名&頼朝&ワキは切戸口から退場。ワキがしんがりで避難した形です。
そして、残った筆頭立衆とシテとの斬組となるのですが、「忠信」なんかと違って1対1でごくあっさりと終わり、シテは落ち延びて三ノ松のところで、時節を待つべしと留拍子で終わります。
短いけれど変化が多く、シテの気合の入った謡と演技とで、非常に素晴らしい一番でした。
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今回徹夜明けで観能に臨んで、一番危ない(絶対に寝る)だろうと思っていたのがこの「六浦」でした。このお能は三度目の鑑賞だけれど、いわゆる「草木国土悉皆成仏」のお能だし序ノ舞なので、あまり面白かったという印象が無かったのです。
しかし、今回は目からウロコ、素晴らしい一番に全く眠くなんてなりませんでした。
前ジテは、濃い青緑色(こう書くとエグい感じですが、黒に近い深緑にブルーがかった感じ)のやはり市松地の唐織です。秋草や菊が刺繍された比較的新しい感があります。
シテの佐野登師の声は、どちらかといえばくぐもって暗く響く重めの落ち着いたバスバリトンだと思います。強いて似た声を探すとすれば、市川団十郎の声のトーンを落としてもっと深みを加えた感じかなぁ。ワタシはどちらかというとこの声は、前回の「阿漕」のような演目に合うと思っていたのですが、今回の「六浦」にも非常にあっていて、感動しました。
後ジテは、白柳色というのか、鶯色にたくさん白を加えたような色の長絹に、濃い小豆色(蘇芳?古代紫?)の大口姿です。以前拝見した六浦では確か、深緑色の長絹だったように思っていたので、とても新鮮でした。なんとなく、まだ浅い秋の色って感じでしょうか。
序ノ舞も、昔は即夢の中だったんですが、自分が一度舞台で舞ってからは、寝なくなりました。この方も舞う姿&型が本当に美しく、この曲の良さを余すところ無く見せていただきました。
しかし、今回は目からウロコ、素晴らしい一番に全く眠くなんてなりませんでした。
あらすじは、旅の僧が相模の国の六浦で楓の前に佇んでいると、美しい女人(実は楓の精)が現われて六浦の楓の由来を語り、後半では美しい舞を舞って夜明けとともに消える、というもの。 六浦の楓の由来とは、その昔、中納言冷泉為相卿が六浦の里で、周囲の木々に先立ち一本だけ見事に紅葉していた楓の木に「いかにしてこの一本にしぐれけん山に先立つ庭のもみじ葉」と一首の歌を詠んだ。楓は自分がその木であることを示すために、それ以来ほかの木々が紅葉しても、青葉のままでいる、というもの。テーマが青葉の楓なので、前ジテも後ジテも「グリーン」ベースの装束です。
前ジテは、濃い青緑色(こう書くとエグい感じですが、黒に近い深緑にブルーがかった感じ)のやはり市松地の唐織です。秋草や菊が刺繍された比較的新しい感があります。
シテの佐野登師の声は、どちらかといえばくぐもって暗く響く重めの落ち着いたバスバリトンだと思います。強いて似た声を探すとすれば、市川団十郎の声のトーンを落としてもっと深みを加えた感じかなぁ。ワタシはどちらかというとこの声は、前回の「阿漕」のような演目に合うと思っていたのですが、今回の「六浦」にも非常にあっていて、感動しました。
後ジテは、白柳色というのか、鶯色にたくさん白を加えたような色の長絹に、濃い小豆色(蘇芳?古代紫?)の大口姿です。以前拝見した六浦では確か、深緑色の長絹だったように思っていたので、とても新鮮でした。なんとなく、まだ浅い秋の色って感じでしょうか。
序ノ舞も、昔は即夢の中だったんですが、自分が一度舞台で舞ってからは、寝なくなりました。この方も舞う姿&型が本当に美しく、この曲の良さを余すところ無く見せていただきました。
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最後の「大会(ダイエ)」は二つ目的があっての鑑賞でした。一つめの目的は天狗が正体を現わすところがどういう風に演じられるのかの確認、二つめの目的は、今年の、伝説となった道成寺を披いたシテのその後を拝見すること、です。
能楽堂中がなんとも微妙な空気が流れます。だから見所がこんなにガラガラなんですかねぇ。ワタシは、こういう天狗物はこのシテに似合うだろうな~、と思って期待を込めて拝見したんですが、見事に裏切られました。また来年確認しなければなりません。
後半では、釈迦に化けた天狗がしずしずと登場して、一畳台にしつらえられた椅子に腰掛けて大会の有様を出現させるという趣向。
他流では、下に天狗の面・上に釈迦の面を2枚付けて術が解けたら上の面を取る、という演出があるそうですが、宝生ではやらないとのこと、大会頭巾(ダイエズキン)というのを被るだけで釈迦に化けていることを現わし、面は天狗(大ベシミ)のままです。ワタシとしては面を2枚つけるよりも、この方がらしくてイイな、と思います。
で、帝釈天が登場して正体がばれると、笛座のところで後見がシテの頭巾を脱がせ、羽団扇を持たせ、赤頭の天狗になって、帝釈天と追いかけっこ(?)になります。最後は帝釈天にさんざんに打鄭されて逃げて幕、となります。
後ジテは天狗姿も非常に立派で、拍子を踏むのも迫力があってカッコいいです。ワタシは、このシテは非常に運動能力が高いと思います。道成寺の鐘入りも非常にキレイに決めていたし、正尊の立衆でも欄干越え(舞台から一ノ松に向かって両足を揃えて跳んで、欄干を越えて橋掛リに着地する)を簡単にこなしていたし、スゴイです。
ただ、大技はいいんだけど繊細さには欠けるっていうか、謡が伝説のままなのでアレレレレというか…。来年は「舎利」と「車僧」らしいので、頑張って欲しいものです。
あらすじは、比叡山の大天狗が命の恩人の僧の所へ山伏姿で礼に来て、かの僧の願いを聞こうと申し出る。僧の望みは「大会(ダイエ)」の有様を見ること。天狗はその望みを幻術にて叶える(つまり親切心からなんだけど本当に実現はできないので騙す)が、それは仏罰なので、たちまち帝釈天が現われて、天狗を懲らしめる、というもの。 寺院などで行う法要の講話の座席を会座(エザ)というが、ここでは釈迦の霊鷲山の説法の場を指すので、スケールの大きさから「大会(ダイエ)」というとか。シテは今年道成寺を披いたばかりの新進気鋭の若手能楽師…、山伏姿も立派で押し出しも良く、見た目は申し分ありませんが…、謡が…、…、…、道成寺の時と変わりありません。
能楽堂中がなんとも微妙な空気が流れます。だから見所がこんなにガラガラなんですかねぇ。ワタシは、こういう天狗物はこのシテに似合うだろうな~、と思って期待を込めて拝見したんですが、見事に裏切られました。また来年確認しなければなりません。
後半では、釈迦に化けた天狗がしずしずと登場して、一畳台にしつらえられた椅子に腰掛けて大会の有様を出現させるという趣向。
他流では、下に天狗の面・上に釈迦の面を2枚付けて術が解けたら上の面を取る、という演出があるそうですが、宝生ではやらないとのこと、大会頭巾(ダイエズキン)というのを被るだけで釈迦に化けていることを現わし、面は天狗(大ベシミ)のままです。ワタシとしては面を2枚つけるよりも、この方がらしくてイイな、と思います。
で、帝釈天が登場して正体がばれると、笛座のところで後見がシテの頭巾を脱がせ、羽団扇を持たせ、赤頭の天狗になって、帝釈天と追いかけっこ(?)になります。最後は帝釈天にさんざんに打鄭されて逃げて幕、となります。
後ジテは天狗姿も非常に立派で、拍子を踏むのも迫力があってカッコいいです。ワタシは、このシテは非常に運動能力が高いと思います。道成寺の鐘入りも非常にキレイに決めていたし、正尊の立衆でも欄干越え(舞台から一ノ松に向かって両足を揃えて跳んで、欄干を越えて橋掛リに着地する)を簡単にこなしていたし、スゴイです。
ただ、大技はいいんだけど繊細さには欠けるっていうか、謡が伝説のままなのでアレレレレというか…。来年は「舎利」と「車僧」らしいので、頑張って欲しいものです。
以上、でございます。今月はあと夜能に行く予定。