<序章>
上方(地唄)舞の中には、本行物というジャンルがあります。
詞章もそっくりお能から借りてきた曲に舞が振付けられている、たとえば、猩々、石橋、八島、鉄輪、善知鳥、葵上、珠取海士などがあります。
またおウチの流儀では、八島・葵上・珠取海士は、曲の途中で謡わねばならないので、(そこだけ)習いたかったし、元がどんなのか観たかった、というのがありました。
<ほとんど体験状態>
そんなこんな、ある経緯で団体稽古の募集があり、よしッ応募しようと思っていたらあっという間に定員オーバーで締め切られてしまいました(T_T)が、その数年後、二次募集があったので、やっとそれに滑り込みました。
しかし、当時はぎゅうぎゅう詰めで???状態、1回参加しただけで幽霊部員(?)と化したのでした。
その後、その教室の発表会にゼッタイ出演しなければならないお達しが下ってしまい、幽霊のワタシも実体化せねばならず(団体)稽古再開となりました。
その時には当時あんなにぎゅうぎゅうだったお稽古はもうスカスカ、いきなり謡えと言われて目でNG!を訴えた記憶があります。初めての発表会は岩船のワキ、でした。
<まだまだ団体稽古にしがみつく>
上方(地唄)舞をやっていたので、仕舞はいいや~謡だけで~、と思っていましたが、友達がやった舞囃子を見てかなり羨ましく、ついに両方(団体)お稽古することにしました。
当時かなりナメてかかっており、いきなり「玉の段」をやりたいと言って、先生を絶句させました。
最初の仕舞は「海士キリ」←修正します。「海人キリ」です。m(_ _)m
しかぁし、動けない&憶えられないんですね、これがほとんど。参りました。瞬時に「玉の段」は彼方に消えました。月に1回の団体稽古ではさすがに舞囃子は無理、と1年延ばしてその年の発表会は「羽衣キリ」
年2曲でした。
翌年は、八島の舞囃子をするんだぁ~、とゴリ押しして発表会を迎えましたが、申し合わせから囃子に圧倒されてアタマに血がのぼりました。緊張で喉がつまって声なんてかき消されてしまうし、本番ではほとんど吼えてた、って感じでした。喉ガラガラでした。情けなや~。(T_T)
これが決め手となり、個人稽古に伺いたいと先生にお願いして、無事入門を許可されたのでした。
<それで今日に至る>
で、謡をメインにお稽古してます。
最初は、自分ではめいっぱい声を出してるつもりなのに、もっと大きな声で、と何度も注意されました。
少しは大きな声も出るようになりました。
強吟で必死に謡ってると、両手がグーになって膝で固まってることが多々あります。
行く先は遠いですけど、お稽古は楽しいです。