今回は「融(半能)」&「舎利」。観世流、喜多流、宝生流がそれぞれ同じ演目を金・土・日と日替わりで勤める豪華番組です。(もちろん宝生流のみ鑑賞)
昨年(第一回目)もとても面白かったけれど、ワタシ的には演出で「え~?」のところもあって、今回はどういう味付けになっているか、とても楽しみにでした。
まず、当日のプログラムのご挨拶を一部分引用&ご紹介いたします。
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(略)能楽堂を離れての“劇場版”は、昨年、能「鉄輪」と舞囃子「猩々乱」を三本の橋掛リを持つ世田谷パブリックシアターの特設能舞台にて上演しました。嫉妬から鬼と化してしまう激しい情念を描いた「鉄輪」は現代劇に通じる物語性、「猩々乱」は音楽性・身体性・舞踊性に商店を当て、「能は能か、演劇か」というテーマを模索してまいりました。
第二弾となる今回は、三間四方の舞台面、橋掛リ、柱など、能舞台の制約から解き放った新しい舞台空間での公演を試みます。そして、能が持つ“現代舞台芸術”としての要素を、謡曲というテキストから改めて考えてみようと思います。
(略)無限の拡がりを持つ宇宙空間を紡ぎだす能楽世界の豊かさを、目に耳に、そして肌に感じていただければ幸いです。
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で、演能の後プロデューサーの3人と、舎利のシテの金井雄資師のポストトークがありました。
その中で特に印象に残ったのは、「能」というのは引き算で削ぎ落として削ぎ落としてエッセンスだけが残っているようなものであるが、エッセンスだけになるとさてこれが何だったのか良くわからなくなる、なので今回は足してみて足してみて逆の方向から「能」を見直してみる試みであった、という趣旨のお話でした。だから、この舞台を見て、そして本来の「能」ではどう表現されているのか、ぜひ能楽堂に運んでください、と。
※客層はどちらかといえば、演劇&萬斎ファン?が多く、お能ファンはあまり多くはないようでした。
そのせいか、客席のマナーは良かったです。最近の能楽堂の見所のマナーはヒドイものがあります。
(つづく)