能楽師 満次郎のメルマガ「能にみる日本人の文化」 その11 能の前衛性 鏡板 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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こちらは、不休で普及に励む宝生流グレート能楽師の辰巳満次郎先生♥に「惚れてまったやないかぁ~!」なファン達が、辰巳満次郎先生♥と能楽の魅力をお伝えしたいな~、と休み休み、熱い思いをぶつけるブログです。

みなさま、あけましておめでとうございます。
西 久美子です。

今年も辰巳満次郎先生のメルマガ・アーカイブをお送りいたします。
第11弾です。どうぞ、お楽しみください。


能はもっとも古くて、しかし前衛的な演劇だと思います。
しかも奇をてらわず、品格を保っていることが凄いところかと。

場合によってはとてもリアルな演技をすることもありますが、様式というものの枠におさまっており、それが決して窮屈ではなく、演出効果抜群であるのです。

演技においてだけではなく、空間作りについてもきわめて前衛的と感じます。

まずは能の空間作り、舞台の特色・意味について、お届けいたしましょう。

能舞台の最大のシンボルは、やはり老松の絵、「鏡板」でしょう。

これは本来、春日大社の「影向(ようごう)の松」を描いたものです。

現在の能楽シテ方5流の源は簡単に表現するならば、大和申楽4座(観世・金春・宝生・金剛)でありますが、それぞれ専属の寺社はあれど、春日大社や興福寺で結集して参勤していました。

春日大社の影向の松、つまり、神が降りてくるヨリシロであり、それに向かって能楽を演じ、祈りを捧げ、国土安穏、五穀豊穣を祈願するパフォーマンスをしていたのです。

ですからこの松はきわめて神聖なもので、シンボルとして現在の能舞台においても、ドーンとバックにあるわけです。

我々もお客様も、この老松があることによって、能舞台の空間が神聖な、特殊な空間にかんじるのではないでしょうか?

また、特に祈りの舞台の名残という側面を気にかけなくても、俗な言い方をしますと、優れた舞台セットであり、能のすべての演出にピタッとはまる背景なのです。

もっとも、能の曲中に背景としての意味は全くありません。

能の中で「松」をセットという形で出す場合は、鏡板の老松にかぶらないように若松を使用します。
橋掛かりの松も同様です。

この鏡板は反響版の役割もしており、能舞台の屋根の内側の傾斜角度も含めて、音響的にも大変重要な役割を持ちます。

曲中に背景として意識はしなくても、もしこの絵が無かったら、なぜか、しまりの無い空間になってしまうことを、先人は知っていたことと思います。

この松の絵は舞台によってすべて違いますので、松を見ただけでどこの舞台かがわかります。

お好みは皆様色々おありの様で・・・


香里能楽堂の鏡板

因みに鏡板は「松羽目(まつばめ)」とも言い、歌舞伎の「松羽目物」というのは能から題材を得たもののことです。

やはり、古くて前衛的な能のシンボルです。

次回は揚げ幕と橋掛かりについてお届けしましょう。


辰巳満次郎



kumiko

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