「海人」&「誓願寺」 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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さて今回の「誓願寺」、いつもだったら大体の粗筋を理解して、あとは当日ボ~っと、いやうっとりと鑑賞するだけなんですけれど、今回は満次郎様(やっぱりファンだったら「師」より「様」よね♪)は「誓願寺」漬けの金土日、せめてファンとしては予習ぐらいはしようかな、と思う次第で、ございます。

で、誓願寺HPやら謡本やらを見て予習してる訳です。

ここでふと気になったのが「海人」のことです。

二週間前に満次郎様が演じた「海人」と、今度の「誓願寺」は曲趣も全く違うのに、よくよく物を案ずると、実は「女人の成仏」という内容を扱っている点に於いて共通点がある、と思うようになりました。

しかし、房前の母の海人は、当時の思想のままに、女人からではなく一度龍女になるという過程を経てから成仏しました。でも、彼女はそこまで。

一方の和泉式部はしっかりと女人のままで成仏して、なおかつ歌舞の菩薩にまでなっちゃってるんですね。この差は一体なんなのでしょうね?

ところで、歌舞の菩薩の、歌の部分ははわかるけど、舞はどこから来たのかな?

「海人」&「誓願寺」の二人の女人の成仏についてイロイロの考察はあろうけれど、身分や生活レベル、また生きている間に(学びを通して)悟りに至るだけの知識を得ていたかどうか、って差があるような気がします。

お能にはしきりに「和歌は神仏を動かし鬼をも感動させる」という記述が出てくることを考えると、和泉式部が和歌に秀でていたことはポイント高かったんだ、という気がします。