実は今回の「誓願寺」には、あまり興味をそそられなかった、
ということをまず白状いたします。
珵珵珵
もし、今回も満次郎様の「またも代役!しかも二日続けて誓願寺!」事件がなかったら、
調べようとか、予習しようとか、きっと考えなかったと思うな~。
ありがとう (v^-゜) ハプニング!
今日の大阪での満次郎様の「誓願寺」はきっと感動的だったことでしょうね~。
さて、私も宝生流謡(&仕舞)をお稽古している身。
謡本があれば、なんとなくソレっぽく(&たどたどしく)謡をなぞることは
できるようになりました。
さらに私の特技、頭の中でのイメージ変換を使って、自分で謡いながら
それを満次郎様の謡に置き換える、という離れ業で「誓願寺」を(半身浴しながら)
予習してみました。
ワキ方を取り替えて変換するのも自由自在なんですよ~淲
ただイメージを具現化する能力がちょっと足りないので、
なかなか謡が上手くなりませんが…。
「誓願寺」はとにかく謡が美しいです。全編ヨワ吟というメロディックな
謡で彩られています。
前シテは普通登場すると、一人で割と長めのモノローグを謡うのですが、
この「誓願寺」は、この部分がシテとワキの掛け合いになっています。
ワキの一遍上人が京の都の誓願寺でお札を配っている、群衆の中に混じるシテの里女、
という感じが良く出ています。
続いて、地謡(男声八人による斉唱)が短い謡(有り難いお札を授かって嬉しいな、
という内容)を謡う間に、里女を残してみんな居なくなる、という段取り。
(う~ん、オペラにもこういうシーンはよくありますね。)
その後、お札に「六十万人決定往生」と書いてあるけど先着六十万人に漏れたら
救われないの?と里女が聞き、いやそういうことじゃなくってぇ、
と一遍上人が説明するシテとワキの会話となり、その内容を地謡が引き取ります。
地謡って、場面や背景の説明を謡い、シテやワキの会話を謡い、
さらにシテやワキの心の動きをも謡う、マイスタージンガーの集団なのですよ。
こういう具合に、地謡による美しい斉唱が続きます。
これを是非楽しんでいただきたいです。
話は変わりますが、リアル誓願寺のHPにはまず「誓願寺のご本尊は阿弥陀如来です。」
とストレートに書いてあります。
だから、阿弥陀如来があまねく衆生を救おうと、モト和泉式部の歌舞の菩薩を遣わして、
一遍上人に(「誓願寺」と書いてある額を外して、代わりに「南無阿弥陀仏」
の六字を書いた額を掛けて欲しい旨の)伝言をしたんでしょうね~。
後半は、ちゃんと阿弥陀様のお心を伝えられてヨカッタわ~嬉しい~、と歌舞の菩薩
(モト和泉式部だけど、もう人間でなく菩薩なので太鼓が付きます)が登場。
五障の女人でも「南無阿弥陀仏」と念じれば、阿弥陀様がお迎えに来て下さるのよ~
誓願寺はそういうお寺なのよ~だから額を変えてもらったのよ~(超意訳)
と喜びの舞を舞って消える、という展開になります。
で、明日の「誓願寺」はこの美しい地謡をたっぷり楽しんでいたら、
いつの間にか舞台は消え目の前には紫色の雲が…、
とならないよう、私ももう寝ようと思います。