年末は30日までライブでした。

最後の週、月曜日26日はヒューマンビートSAKURAI KYO & Arabic violin とTANiSHQでベリーボクス。
29日は、スタジオリタム主宰の年末恒例イベント、シャカララウンジ。
30日は2本はしごで、
8月私に静かな衝撃を与えた群馬中之条ビエンナーレでやったきりだったアラブ白拍子計画を、
水流しの儀にて、再演。
その足で吉祥寺に向い、31日未明まで、WARPにてONENESSでのセッション。

この間まったく手につかないながら、年明け4日に九州に旅立つにあたってどうしても出さなければならない原稿が一つ。

三ケ日、ほとんど徹夜でレクチャー準備と原稿にかかりきりで、
あまりにはかどらないのにあきれて逃亡し、一夜友人と新年を祝い、ただ話すだけの時間を経て、
これがかなりの推進力となってまた3日から4日にかけて眠らず徹夜をして準備、原稿…
タイムリミットで原稿は仕上がらないまま、一睡もせず九州、関西ツアーに出発。

まず、宮崎に飛行機
ついた夜すぐにライブをして、
そのあとまたホテルで凍えながら(室内の空調操作ミスだったことが判明。エコ運転て、なんなのさ!)原稿を書き、
5日には脱稿するも、凍えきってしばらくホテルで寝込む。
6日には熊本に向い、ライブ、そして翌日には福岡へ。

7日到着後リハして、翌8日から二日間にわけて、約10時間近くしゃべり倒すレクチャーの後、ライブ。
ちなみにここで、5日にホテルで脱稿した原稿が刷り上がってセットされたウム・クルスームのダブルベストCDが福岡に到着して販売、という綱渡り具合。
9日ライブ終了後、終電近い新幹線で関西入り。

このころには声はボヘミアン、体はスライムのような、別の生き物に変貌。
そんな状態の、ろくに口も聞けない様子で辿り着いた私を、大きな懐で受け止めてくれた居候先のまり子さんのもてなしによって、少し人間に回復し、
翌10日から関西のアラブミュージシャン達とリハ、そして11日心斎橋サズカフェにてライブ。

一日おいて(伸子さんと別件リハ@新開地の前にはまり子さんにチーズフォンデュでもてなされてランチ女子会)13日は神戸須磨ボナルーカフェ、14日には大阪中津ピラミッドにてライブ。
ヴァイオリンの秦さん、そしてレクのサンペーさんと、今回ツアーをずっと共にしたアブダッラー、私の四人に、最後はダルブッカの永田充氏、トルコ経由でエジプトから関空に到着したその足でライブ会場に駆けつけてくれたウードの吉樹さんも加わった、日本で稀に見るゴージャスな編成、
かつその全ての人がアラブ音楽に魅せられ、愛しているというメンバー達と演奏しきった。

翌15日にはレクチャーをサズカフェで。オーナーシェフのセファのまかないを食べながら、
一週間すっかり御世話になったまり子さんと、去年10月ご一緒した牧瀬君が顔を出してくれて団欒。
名残惜しくも皆に別れを告げて、最終近い新幹線に今回の旅の友アブさんと乗り込んだときには、2人とも完全にスライムのようなでろんでろん状態。普通にしていたら目も空かないし、口も聞けない。

二週間近い留守、その前もライブと徹夜に追われ、
帰宅してようやく年が明けた気がする、と思う間もなく、
数百のメールを整理し、全く手つかずの年賀状に返事を書いて日々が過ぎています。

九州宮崎で御世話になった愛美さんとそのご主人。
熊本の葉子さんは福岡のワークショップにまで急遽参加して下さり、
昨年12月頭に御世話になった鹿児島のIZUMIさんもまた福岡で再会。
その福岡を取り仕切って、踊りもみせてくれたユキさん、すばらしいスタッフの皆さん。
鹿児島でもご一緒し、また今回は踊ってくれたマリカさん。
10時間以上に渡る私のトークにつきあってくれた参加者の皆さん。
大阪で一週間すっかり御世話になったまり子さん、そして心優しい2人の息子さんと、おイヌ様方。
アラブ音楽を愛する心を音で分かち合ってくれた、秦くん、サンペーさん、
そして飛び入り参加してくれた充さん、吉樹さん。
関西の憩いの場となったサズカフェ、そしてセファ。
ボナルーカフェ、ピラミッド、どのお店もとても私達にあたたかかった。
旅の間中、優しい心でつきあってくれたアブダッラー氏。
九州の旅を共にしたミホさん、まどかさん、マナちゃん。

まだまだ全員書ききれないけど、全ての皆さんに感謝と愛を。
近いうちにまたお会いしましょう。
何はともあれ今年もどうぞよろしくお願い致します。




$KyokoOikawa.violin.com

毎年、正月には蓮の華の絵を描く…という日課、ならぬ年課ができなくなって数年。
昨年は父の入退院とか、その前はたしか自分が熱出していたり。
今年はなぜか猛然と描きたくなって、むりむり昨日仕上げました。
ただし、今年は年賀状になるべきものはすべて寒中見舞いになりました。
なんとか旧暦の正月までにはついたかな…ごめんなさい…
文字は言葉の墓場である、
と、
文字を持たないアボリジニの人々は言ったとか言わないとか。

私もそれは同感です。
どうせ墓場に埋葬するのであれば、
ふさわしい時期に、ふさわしいものを、ふさわしい姿で埋葬せねばなりません。

今年の震災以降、そんな気持ちがいっそう強まって、
なかなかブログが書けなかった。(言い訳ではない…)

その間、それにあわせたように、
しばらくCD解説の原稿もなかったのですが、
12月にはいって突然二本、ど、どん、と頂きました。

今年の何かを埋葬することになるのか、デッカい墓標を、いま一つ建て終わり、
もう一つと格闘中です。
CD解説に、そんなに力を入れるのは愚かなのでは、という囁きが聞こえる程、
毎回毎回七転八倒して格闘しています。
でも、ただでは済ますなよ、といわんばかりの、千載一遇の助け手が差し伸べられたりもして、
やはり真剣勝負にならざるを得ません。
編集する皆様、いつも文字数があふれかえって、ご迷惑かけて申し訳ありません…
これでもこう見えて三分の二程度には削っているのどす…
そしてさらに、そんなに長々書いたところで、
これを喜んで読んでくれる人がはたしてドレだけ居てるのか、
という問題に考えが及ぶと、ぐはぁ…と胸を突かれるような思いがします。
しかし…見返りを求めるようでは、愛ではないのです…(という話ではなかったかもしれない…が…)
いつでもどこでも、すっかり片思いのプロです。
来年は、もとい、来年こそは、両思いの、プロではなくとも初心者くらいにはなりたいものです。
そんな私の今年のイロイロがつまった解説付のCD、
どちらも、今年まさかの二度の渡航をしたエジプトのものです。
どうも、「しっかりいいモノをお出し~」という、見えない力が、
私を頑張らせているような気がしてならない(勝手な妄想かっ!?)、
そんなパワーをびんびん感じる二枚です。
お楽しみに(してくれる人、いるといいなー…)

ことしはそんな感じで年末年始をおくり、
年明け早々、九州から大阪までツアーします。

10月の末の大阪、12月頭にはじめていった鹿児島でも、大変あたたかく迎えていただきましたが、
また間をあけず九州、関西の地を踏めることが大変嬉しいです。

とはいえ

昨年末は父が入院していて、まったくそんな感じでなかったですが、
今年はよりいっそう年賀状を書く気がしないし、書く時間もない気がします…
とこれは早くも言い訳モード…


久しぶりに、
ほんとうに個人的で、くだらなくて、ささやかな、でも私にとってはまぁ結構大切な願い事があって、
願い事というのは、
大事に大事に胸の中に守っていないと、
すぐ欲にまみれたり、
浅ましさに溺れたり、
傷ついたり壊れて粉々になったり、
するので、
それをどうしようかとこのところ考えている。

ふと読み返した本に、
問いの答をほしいときには、
おもいついた本を気がすむまでめくって、
手のとまったところのページをみて気になる言葉をみつけてごらん、
と書いてあって、

ああ、これってビブリオマンシーの事だな、とおもって、
久しぶりにサイトをのぞいた。

なんでも来年1月6日でこのサイトは閉鎖とのニュースもそこで見て、
ちょっとさみしくなったのだけど、
心に問いを浮かべて、クリックした答えは。

流れ星
願いは、
それを願うべき人の心に自然に生まれてきます。
自分の心に願いや愛が生まれてしまったら
そちらに向って歩いていくしかありません。
願いをコントロールすることは
できるようでいて、できないものです。
願いと対話をし、願いをだまそうとしないとき
願いは、それが叶うときも、叶わないときも、
次の新しい扉を開いてくれることになるのだろうと思います。
流れ星

「願いをだまそうとしないとき」…なんとすばらしい言葉だろう。
ああ、願いに向って歩いていくしかないのだね。

だまさず、対話をしながら、歩いていきます。

閑話休題、
今日は、今年の忘れ得ぬ一日を、大阪公演で共にすごした人たちが集う「反忘年会」に顔を出してきた。

公演の舞台まるでその時の現実と、その上にレイヤーした別の層がまるでぴったりとシンクロしたような世界で、
終わってから仕事のために東京に大急ぎで戻ろうと乗った新幹線は、
怖いくらい空いていて、
東京駅も、後にも先にも初めてな程人がいなくて、
あの異様な新幹線から東京駅の道は、舞台の世界から現実に戻る架空の道のようだった、
というふうに感じたことを思い出した。

あの時を一緒に迎えた人たちと、今日またあえてよかった。

あの時から、
決して戻らない何かが、いろんな人をいろんな風に変えていったと思う。
私ももう戻らない何かを明確に感じている。
だからこそ、マイナス∞からのシフトだとしても、
これしかないものにむかって一歩踏みだす、ことをより確信的にやっていくのだ。

その旅立ちにあたって、
もう下ろしてもいい荷物は、ここにおいていくことにする。
もっと力強く、軽妙に大地を踏みしめて踊るために、
こびりついたりしがみついたりしていたものは、ここにおいていく。

過去に私にのしかかり、あるいは支え、寄りかからせてくれたたくさんのもの達、
またあう必然があれば、きっとまたあえる。
それまで、またね。

そして、すこし自由になった両腕で、旅の道連れにするものを、
まえよりいっそうぎゅっと抱きしめていこう、と思う。

願いをだまさず、そちらに向って歩いていきます。