久しぶりに、
ほんとうに個人的で、くだらなくて、ささやかな、でも私にとってはまぁ結構大切な願い事があって、
願い事というのは、
大事に大事に胸の中に守っていないと、
すぐ欲にまみれたり、
浅ましさに溺れたり、
傷ついたり壊れて粉々になったり、
するので、
それをどうしようかとこのところ考えている。

ふと読み返した本に、
問いの答をほしいときには、
おもいついた本を気がすむまでめくって、
手のとまったところのページをみて気になる言葉をみつけてごらん、
と書いてあって、

ああ、これってビブリオマンシーの事だな、とおもって、
久しぶりにサイトをのぞいた。

なんでも来年1月6日でこのサイトは閉鎖とのニュースもそこで見て、
ちょっとさみしくなったのだけど、
心に問いを浮かべて、クリックした答えは。

流れ星
願いは、
それを願うべき人の心に自然に生まれてきます。
自分の心に願いや愛が生まれてしまったら
そちらに向って歩いていくしかありません。
願いをコントロールすることは
できるようでいて、できないものです。
願いと対話をし、願いをだまそうとしないとき
願いは、それが叶うときも、叶わないときも、
次の新しい扉を開いてくれることになるのだろうと思います。
流れ星

「願いをだまそうとしないとき」…なんとすばらしい言葉だろう。
ああ、願いに向って歩いていくしかないのだね。

だまさず、対話をしながら、歩いていきます。

閑話休題、
今日は、今年の忘れ得ぬ一日を、大阪公演で共にすごした人たちが集う「反忘年会」に顔を出してきた。

公演の舞台まるでその時の現実と、その上にレイヤーした別の層がまるでぴったりとシンクロしたような世界で、
終わってから仕事のために東京に大急ぎで戻ろうと乗った新幹線は、
怖いくらい空いていて、
東京駅も、後にも先にも初めてな程人がいなくて、
あの異様な新幹線から東京駅の道は、舞台の世界から現実に戻る架空の道のようだった、
というふうに感じたことを思い出した。

あの時を一緒に迎えた人たちと、今日またあえてよかった。

あの時から、
決して戻らない何かが、いろんな人をいろんな風に変えていったと思う。
私ももう戻らない何かを明確に感じている。
だからこそ、マイナス∞からのシフトだとしても、
これしかないものにむかって一歩踏みだす、ことをより確信的にやっていくのだ。

その旅立ちにあたって、
もう下ろしてもいい荷物は、ここにおいていくことにする。
もっと力強く、軽妙に大地を踏みしめて踊るために、
こびりついたりしがみついたりしていたものは、ここにおいていく。

過去に私にのしかかり、あるいは支え、寄りかからせてくれたたくさんのもの達、
またあう必然があれば、きっとまたあえる。
それまで、またね。

そして、すこし自由になった両腕で、旅の道連れにするものを、
まえよりいっそうぎゅっと抱きしめていこう、と思う。

願いをだまさず、そちらに向って歩いていきます。