「創造の完成/The finish of creation」


創世記1:31

 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。

 見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。

 2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。


/Complete, Finish


元=origin, beginning (二=tow, ル=人)

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※ 全宇宙の創造が終わり、一番最後に神のかたちに似せて創造された人の

   神のに住むようになった時、神様は「全てが成した。」と宣言されました。

   神様は創造の一番最後に結婚を創造しました。

   それは神の目から見て全で「非常によかった」のです。

  

   私たちの結婚も神の祝福と御計画のもとにあるなら、それは非常に良いものになります。

二人の人が結ばれて神の愛のもとに包まれる時、私たちの結婚は完成するのです。


創世記13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。


アブラハムは神様に素晴らしい約束を与えられました。

それは彼の子孫が大いなる国民に増え、彼の子孫によって全地は祝福されるという約束です。

彼はいろいろと人生の中で失敗を重ねます。

妻のサラが非常に美しいため、外国の王に殺され妻を奪われないために、

彼女を妹だと偽ります。それで彼女は外国の王に召しいれられます。

ある時は子供があまりにも生まれないため、妻の待女を通して子供を作ります。

しかし、彼はいつも主に祝福され続けました。なぜでしょうか?

彼の生活の中心にあったもの、それは礼拝でした。

彼はいつも主の前に祭壇を築き、礼拝を捧げました。

彼はいろいろな欠点のある普通の人間でしたが、

神をいつも第一に求める心があったのです。

彼の人生は旅の連続で、落ち着く先のない大変な生き方でしたが、

それは神を求める信仰の旅でした。

私たちクリスチャンもいろいろと失敗をおかします。

しかし、この人生の旅が主を求めることを中心とするならば、

私たちは神の友となれるのです。


ヤコブ2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

1テモテ3:5 自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。


世の中はどのような人が社会的地位のトップに着くでしょう?


フィリピンで選挙がある時は、お金がばらまかれます。


対立候補同士の抗争も多く、殺される人たちが少なくありません。


会社や政治のトップに着く人々は何によってその地位を得るでしょうか?


現実的には、学歴や能力の優れている人、社会的力があったり、富を持っている人。


他者を蹴落とし、競争に打ち勝つ人などが多いのが現実の世の中です。


しかし、パウロは教会の監督になる人の条件の中にこれらのことは述べていません。


教会の監督者の条件は、


1.自己管理ができていて、成熟した品性の人。


2.家庭をよく治め子供をしっかりしつけしている人。


3.クリスチャンとして成熟した人。


4.教会外の人々にも評判の良い人


以上の4つです。これは、その人の仕事の能力や才能、召命や賜物よりも、


その人の人格と品性が何よりも重要だということです。


このような人が、教会を治めるなら、その教会は幸せです。


このような人が、会社や政治、世の中をリードするなら、その社会、その国は幸福になるでしょう。


今の日本はどうでしょうか?次の世代のリーダーのために祈りましょう!

私は普段フィリピンにいると家で妻か友人に髪を切ってもらいます。


久しぶりに最近髪を切りに床屋さんに行ったところ、シャンプーをしてもらう時、ヒヤっとしました。


こちらが水の冷水シャワーだったことを忘れていたからです。


フィリピン人の友人と以前、シャワーのことが話題になりました。


「なぜ、フィリピン人は温水シャワーを使わないの」と質問すると、彼女の答えはこうでした。


「それは頭皮にいいからですよ。冷たい水だと毛穴が閉まってハゲにならないわ。


日本人にハゲが多いのは温水を浴びるから、毛穴が開いて髪が落ちるのよ。」


妻の妹は美容師で、その話をすると、「シャンプーをするときは時間を掛けて、丁寧に頭皮をマッサージし、


毛穴を開いて、毛穴の中に詰まっているごみを落とすと、ハゲにならないんだよ。温水の方がいいね。」


うーん。確かに理にかなっている。日本人にハゲが多いのはストレスの問題かな?


どちらにしても、ところ変われば、理論も変わります。



1テモテ 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。



ギャング団のボスと言えばアル・カポネを思い浮かべます。


彼はシカゴを支配したマフィアのドンで、映画「アンタッチャブル」は私の好きな映画の一つです。


聖書にも「罪びとのかしら」を自称してはばからない人物がいました。それが使徒パウロです。


彼は確かにクリスチャンになる以前は、クリスチャンを迫害し、牢に入れ、死に至らせる者でした。


しかし、回心した後彼は命を捨てて、主に従い通しました。


世界伝道旅行に3度出て行き、その当時のローマ帝国のほぼ全土に福音を宣べ伝え、


多くの教会を立上げました。彼の書いた手紙は新約聖書の半分を占め、


彼によってキリスト教の真理が教理として確立しました。


その働きのため牢につながれ、殉教直前に弟子のテモテに書いた手紙の中で、


彼は「私は罪びとのかしらです。」と語っているのです。これが彼の自己意識の土台でした。


彼は真理を知り、証しと力を与えられ、全世界に伝道をし、豊かに用いられました。


しかし、神に近付き、神の光の中に近づけば近づくほど、自分の罪の醜さを意識していったのです。


これこそ、神を知った人の成熟の姿です。彼は神を知るごとに、ますます謙遜に成らざるをえませんでした。


そうして、「キリストがこの罪びとを救うために来てくださった。」という感謝に狂喜したのです。


自分の罪の深さを知る者だけが、神へ全てを捨てて、献身できるのです。