最初に実際問題に取り組んだとして、それが直に解決出来るのであれば教育は必要ないということになると思うのですが。
このシステムを採用しているということが逆に大学の存在価値を否定しているように感じるのです。
また学校の授業での討論も教授はほぼ進行役であって、教えるのではないのです。
そうするとこの学校で行っていることは、自分で実際に実地で問題に取り組むというやり方なのです。
ここで単純な疑問です。
これって教育なのでしょうか。
しかも誰も解決出来てないことを学生が解決出来ると思うことが自意識が高過ぎると感じます。
学校特有の思考法というのが存在するようですが、それで全てが解決出来るというほど世の中は甘くないのです。
世の中には答えが無いということも少なくないのですから。
パターンで考えるということは簡単に言えばノウハウが有れば解決出来るという思考なのです。
そんなノウハウが有れば世の中がこんなに混迷してませんよ。
そのノウハウが重要なのであれば学校教育ではなく、そのノウハウを実行する組織を作ればよいのです。
我が社は何事も解決出来るのでお任せ下さい、と。
国連にも環境問題は我が社が解決しますと営業に行けばよいのです。
直に発注してくれますよ。
それをしてないということは、出来ないのです。
出来ない手法を教育に落とし込むということが理解出来ないのです。