知的スピリチュアル講座

知的スピリチュアル講座

人は毎日少しの時間でも『無我』になることによってのみ、
運勢を好転させることが出来るのです。

なぜなら、エゴ(自我)が幸運の邪魔をしているのです。

 しかし当然これだけでは環境問題は解決することはなく、このままズルズルと行く可能性が高いと考えます。

 

しかしそれは人類の生存を危くすることなので、どこかで気が付かなくてはならないのです。

世の中は圧倒的に目の前の利益を大事にする人の方が多いので、タイムリミットまでに間に合うかどうか微妙な雰囲気です。

 

百匹の猿現象と言ってある一定の数字に到達すると急速に拡大するとも言いますから、多少の期待感は持つことにしています。

 

ただ経済活動では無駄な消費を経済の拡大として置き換え美化してますので、無駄な消費と認識するのも容易ではないのです。

 

経済の拡大という大義がありますので、そこに悪いことをしているという気持ちが入り込むことが無くなるのです。

実に見事な経済界の戦略です。

 

SNSというシステムの中で自分の行動を情報として取られて、それを企業に売られているのにも拘らず、それが文化的な生活だと錯覚させられているのです。

 

普段の生活の中では個人情報保護と言いながら、SNSの中では自ら個人情報を発信しているのです。

 

自分にもデメリットのあることを行いながら、環境にも悪いことを行っているのに止められないのですから、人間の未来は明るくないのが正直な感想です。

 

このコロナを機にそこに気付いても良いと思うのですが。

そこに気付くことがエコへの第一歩だと思います。

 

決して出来ないことをお題目のように唱えるのではなく、出来ることをやらないと時間の無駄なのです。

残された時間は多くないのですから、本気で考える必要があるのです。

 

SNSを止めて、何かデメリットが有りますか?

 

 

 

 

 

 ところが現実社会を見渡すと、実体経済からかけ離れた金融博打の経済で成り立ってしまっているのです。

 

お金をお金によって増やせる仕組みを作り上げているのですから、足るを知れと言っても無理な話です。

人間にとって博打はかなり中毒性が高く、強力な薬物に次ぐ中毒性の高さなのです。

 

なにより働かなくてよいのですから。

 

ですから博打経済に依存した人間社会がそこから脱するのは簡単なことではないのです。

 

またそこに直接依存していなくても、SNSの社会では手段は何であれ注目を集めればお金になるのですから、これも似たようなものです。

 

嘘であっても、モラルを無くしても、極端な例では違法行為でも、とにかく注目を集めることが正義でありお金儲けの手段なのですから、ここから脱するのも至難の業だと考えます。

 

ですから環境問題と言っても環境だけ考えていれば済むことではなく、

生活の根本から考え直す必要があるのです。

 

アッテンボロー氏の言うような出来もしないことに努力を費やすのではなく、もっと現実的な解決法を探す方が効果的なのです。

 

今世界では約20億の人がSNSを頻繁に使っているようですが、この内の2割でも利用頻度を大幅に減らせば少しは流れが変わるのではと思います。

 

SNSは架空の世界でしかなく、それに振り回される必要はないと2割の人に理解させれば状況は変わると思います。

親指が上を向くか、下を向くかの違いだけなのです。

それを理解するのはそんなに難しいことではないと思うのですが。

 

少なくとも出来もしないことを追うよりは効果的だと思います。

 

直接的には使用エネルギーも減るでしょうし、間接的には映え消費とでも言いますか、SNSに写真を載せるための消費行動が減るのです。

不要な消費活動が減るのです。

 

ところがSNSのシステムを作り上げている側も様々な手段を講じて利用者数と利用頻度を増やそうとしていますから、これも簡単ではないのですが。

 

それでもこのコロナの影響もあってか、映えという言葉をあまり聞かなくなりましたので、ここが転機になる可能性もなくはないのです。

言うほど簡単ではないとは思いますが。

 

 

 

 

 

 農地を森や林に戻すと言っても、ブラジルでは森林を守るより農地にしろと大統領が言っているのです。

 

国の指導者が環境を守ったところでお金にならないから農地にしろと言っているのです。

世界の判断基準はお金になってしまっているのですから、農地を森や林に戻すというのは今の基準では荒唐無稽なものでしかないのです。

 

海の三分の一を禁漁区にすると言っても、利害関係が絡んでくるので、どこを禁漁区にするか簡単に決められるものではないのです。

 

禁漁区にして水産資源が増えたら、それを密漁する輩が必ず居るのです。

下手をしたら国策としてそれをする国も出て来るのです。

狭い一部の地域で成功したからと言って、それが広範囲に適用出来るものとは限らないのです。

 

各国の海の権利の及ぶのは海岸から二百海里という考えを批准しなければ、平気でどこでも操業することが出来るのです。

そうすると武器を使った小競り合いが頻繁に起こるようになりますので、何がエコかということになります。

 

皆がルールを守るというほど平和な世の中ではないのです。

お金が稼げれば武器を持って集まってくるのが今の現状なのです。

アフリカの動物の密猟者や中南米の違法薬物を扱う組織を見れば一目瞭然です。

場所によっては警察組織より武装集団の方が近代的な装備を持っているのですから。

 

これが現状なのです。

 

技術的な事や小手先の手法では、どうやっても問題は解決出来ないのです。

 

問題は技術などではなく、その前の足るを知るという心なのです。

 

そうは言っても世界的に判断基準がお金が儲かるかどうかになってますから、足るを知ることも容易ではないことも事実です。

 

でも足るを知らないことには、どうやっても環境問題を解決出来ないというのも事実なのです。