知的スピリチュアル講座

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人は毎日少しの時間でも『無我』になることによってのみ、
運勢を好転させることが出来るのです。

なぜなら、エゴ(自我)が幸運の邪魔をしているのです。

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ですから日本で仏教史や仏教哲学を研究している人などは、日本の仏教をどう考えて研究しているのでしょうか。

仏教からかけ離れたものを研究しているのですから、それは的外れな研究と言わざるを得ないのです。

それ以前に研究する必要のないものなのです。

 

もし仏教に関して研究することがあるならば、何時の時代に、どこで、どのように解釈が誤った方向に進んだかなのです。

 

こう書けば大学で研究している人は反論するでしょうが、研究の余地があるのは、どこでどう間違ったかだけなのです。

内容が間違っているものの中身を研究したところで、そこには生産的なものは存在しないのです。

最初から間違っているのが分かっているのですから、研究など必要ないのです。

 

研究者が何を研究しているのか不思議なのですが、もっと気になるのが職業としての仏教関係者です。

 

自分達が日頃話している内容に根拠がまったく無いのですから、どの様に考えて話しているのか気になります。

それでテレビで人生相談などを行っているのですから、実に不思議な気分になります。

 

ましてその回答が仏教の例え話であったりしたら、もう頭を抱えるしかありません。

 

日々のお勤めと称して経を唱えたりしてますが、どう考えて行っているのでしょうか。

自分の行っていることが意味の無いことだと薄々感じていて、それを紛らわす為に行っているのでしょうか。

 

自分は詐欺師ではなく聖職者だと自分に言い聞かす為なのでしょうか。

 

 

 


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今の日本の仏教は、はっきり言って役に立ってません。

強いて言うなら、誰かが亡くなった際にケジメを付けるという意味があるくらいでしょうか。

それでもその後の意味の無い法要を強いられるのも困りものですが。

 

そもそも三蔵玄奘がインドに経典を求めて行った時点で仏教が誕生してから千年を超えているのですから、もう既に像法の時代に入っているのです。

お釈迦様が予言したとされる、仏教が形だけの時代に入っているのです。

 

像法の時代に入ってから経典を求めてインドに行ったのですから、それらの経典の中には既に仏教ではないものも多く含まれている可能性があるのです。

仏教の真髄が失われてしまっているのですから、何が本当の教えなのかが分からなくなっているのです。

 

そこで大量の経典を中国に持ち帰って翻訳したところで、それだけでは正しい仏教は伝わらないのです。

それらの大量の経典を精査することによって初めて仏教の概要が見えてくるのです。

その一番大事な精査するという作業がなされてないので、後進が嘘か本当か分からない内容を鵜呑みにしてこれこそが仏教の真髄だと言ってしまったのです。

 

そして様々な派に分かれてしまったのです。

何が真実かを知らないままにです。

 

中国で本質を失った仏教が、更に日本に来て複雑怪奇になってしまったのです。

仏教の本質である生きた人間を救う教えが、どこでどうなったか死んだ人間のあの世での修行を応援するものになってしまったのです。

それが現世利益にもつながるとなっているのです。

 

お釈迦様がこれを知ったら、正に末法の世だとさぞかし嘆くでしょう。

悪魔が僧侶の服を着て成りすましているというのが現実になっているのです。

 

ですから宗教離れが起こっているのは正常なことなのです。

そこに気が付いてないのは仏の弟子ではなく、成りすましだからです。

 

 

 


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日本の禅宗では悟りも求めるのですが、なぜかそれ以外の仏教儀式も行うのです。

それで禅宗も悟りより経営の方が優先されているのです。

 

これは江戸時代に檀家制度が出来たからだと思いますが、それによって禅宗の一番大事な要素が軽んじられたのでしょう。

そもそも日本の仏教界の一番の勘違いは、日本は仏教徒が多いと思っていることです。

 

日本はどちらかと言えば神道の国なのです。

神を信じているかどうかは別にして、万物に神が宿るという考えを受け入れられる国民なのです。

だから困った時には神様仏様の順になるのです。

 

日本に仏教徒が多いと勘違いするのは、江戸時代の檀家制度によるものなのです。

この時代には寺の檀家になるのは庶民の義務であり、望んで檀家になったのではないのです。

キリスト教徒ではないことを証明するために必要だったのです。

戒名とは仏教徒であることを証明するためのものだったのです。

決して死んだ後に付けるものではなく、仏教徒の証だったのです。

 

そもそも仏教徒ではない人間を檀家だと思っているところが今の仏教の誤りなのです。

江戸時代の制度の名残で檀家になっているだけで、生活の役に立ってないのですから、多くの人は望んでないのです。

 

今の日本の仏教界に必要なのは、本当の仏教の教えなのです。

お釈迦様が人々を救おうとした考えなのです。

仏教界が昔の制度の上に胡坐をかいて生活するためのものではないのです。

 

今一度仏教とは何かを考え直さなければならないのです。

人の役に立たないものは必要ないのです。

今はキリスト教徒であっても罰せられないのですから、檀家制度の必要はないのです。

 

仏教が人の生活に役立っていることは何でしょう。

 

 

 

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