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ドSなブログ

基本アホなことしか書きませんな。真面目なことを書いた時は発熱してるはずです。

ラッキーと言っても大した話でもないけどね。


SNSで他の人の投稿を見て思い出した。多分、この話は初めてかも。書いた記憶が無いもん。


バリバリのポン中だった時に、女の子と居酒屋に行ったわけさ。中野駅の近くだったね。


その時は、特に気取ることも無く、普通の居酒屋さん。


中野駅北口も今はオタクの聖地みたくなってるけど、「まんだらけ」ができるまではそんなことは一切なく、居酒屋や飯屋が多くある普通の駅前だったよ。


もう30年位前の話だね。半袖でちょっとまずいかな(注射痕が)と思っていたのを覚えているので夏だと思う。今くらいじゃないのかな?


まあとにかく、その居酒屋で2人で飲み始めたわけさ。誰かに何かの相談に乗ってやってくれと頼まれた女の子だった気がする。女の子はその後も付き合いがあったのでハッキリ覚えているけど、その日、話した内容は全く覚えていない。


居酒屋の隣の席は何か知らない学生さんの団体。体育会系の柔道とか空手とかそんな感じ。まあ戦ったら負けるなw


2時間くらい経っただろうか、こちらからは特に何も絡んでないんだけど、その集団の酔っ払った1人の学生から突然ケンカ売られたんだよ。今思い出しても全く意味がわからない。


もちろん、他の学生や女子マネっぽい子は必死で止める。しかし俺も女連れだからイモ引くわけにもいかないわけよ。最低限、彼女を守らないといけないから。


とは言え、俺もまだ若いし、カッカするからねぇ。いつものように「オイコラ!」とか言おうと思ったんだけど、ちょっと待てよ、と。


身体には入ってるので、腕見られて尿検受けたら終わりだわ。てか、その前に一式持ってるし、と思い直して大人しくスルーしてたのよ。


シカトしてたら余計にエキサイトしちゃって、何かの料理を投げてきたんだよね。それが俺の横の客(知らない人)に命中して、彼がブチ切れる。非常に面白い展開ww


そこでお店の店長が登場して激オコ。当たり前だ。学生さんたちは強制会計で退場。最後に、女子マネとキャプテンらしき人が来て謝罪してったけどね。


俺も「もういいよ。一切気にしなくていい。」と。


俺の心が広いわけでもなんでもなく「警察沙汰になったら俺が困るんだよバカ」ってことだけどねw


隣の料理が命中した彼は、お店がクリーニング代を出すということで決着して帰って行った。


俺たちもそろそろ帰ろうかと、伝票を手にしてレジに行ったら、お店の好意で料金はいらないということに。


払うって言ったんだけど、向こうは受け取れないと、レジ前で押し問答も何だし、じゃあ「ごっそさん」と支払わずに帰りました。


ポン中じゃなかったら、大立ち回りを演じてた気がするので、ポン中だからこそ静かにしてて、結果的に得したって話。まあつまらない話ですよ。


この年の冬、皮肉にも、結局はここの所轄の野方署に逮捕勾留(バンカケは新宿署管内だけど)されることになり、結局はパクられるのが早いか遅いかの話でしたけどね。アーメン。


あと何回会えるのだろう?


俺の年齢になってくると、お先が見えてくるわけですよ。


最近、あちこちの友人知人から癌だの脳梗塞だの心臓がどうだの、命に関わるような疾病の報告を耳にすることが多い。


俺自身は健康だけど、それでもいつ何が起こるかわからないわけで、もう残された時間は多くないと思って生きるしかない。特に健康寿命ね。


やりたいこともたくさんあるんだけど、それよりも会いたい人がたくさんいる。相手の寿命もあるわけだし。


近隣の人たちはともかくとして、中部地方や四国中国地方以西の遠方の人は人生であと1回しか会えないと思う。関西は空路が安いので割と近い。東京と同じくらい近い。


そんで、友達ももちろんなんだけど、親もそうだよね。もういい歳だし、あと何回会えるのだろうと。親父は死んでるので、母親だけどね、俺の場合。


アメブロを通じて知り合った人もそう。実際に会ったことがある人もいるけど、お会いしたことの無い人も会ってみたいし。


最近、ホントに残された時間のことを考えてしまうよ。あと2〜3年で親父が死んだ年齢なんだよね、俺。

売買春や売春婦については何度も書いてきてるので、それらと重複もあるだろうし、もう記憶も怪しいので事実と異なることを書くかも知れない。なので、今回のエントリーはフィクション的に読んでよ。記憶がかなり欠落してるものw


現代ではパパ活だのトー横キッズだの話題になってるけど、彼女たちは言うまでもなく売春婦よ。


ただ、昔の売春婦と違うのは、悲壮感が少なめ。そして、可愛い子が多い。


俺が東京でウロウロしてた頃、ポン中だった頃だな。もう30年も前になるか。


その頃は世間で「援助交際」「援交」なんて呼ばれ始めた頃だね。可愛い女の子はみんなアムラーだった。言うまでもなく、俺の大好物。今でも当時の写真とかネットで見るといいなーって思うもん。


で、呼称は忘れたけど、とにかく10代とオッサンを結びつけるシステムが各地にあったんだよ。なんだったっけ?


あ、ブルセラなんとかみたいなやつだ。詳しくは覚えてない。


そこは比較的可愛い子が多かったけど、ここの子たちには当時でも悲壮感が無かった。今と変わらん。


しかし、一方で、悲壮感漂う子も少なからずいた。


極端な子だと障害者だったな。何人か顔まで覚えてるよ。立ちんぼもいれば、テレクラやツーショットダイヤルみたいなので客を捕まえる子もいた。


後ろにはヤクザ者が付いてて、ショバ代も払ってたはず。歌舞伎町だと当時で1日5000円じゃなかったかな?


はっきり覚えてるのは視覚障害者、つまり目が見えない子と、何とかっつー先天性の疾患で顔が半分無い子。やめろって言えるか?言えないよ。


まともに生きていける奴にはやめとけって説教したね。まあやめるやつの方が少ないけどね。痛い目に遭うまでは。


最近になってようやくパパ活で殺されたり、痛い目に遭うニュースを目にするようになって来たけど、現実は毎日何かしらの事件が起きている。巻き込まれたら、下手したら一生抜けられないかも知れない。人によってはシャブをヅケられることだってあるだろう。


娘さんを持つ方は、絶対にそう言う世界に足を突っ込まないように教育しといてください。


もし突っ込んで抜けらんなくなっているのであれば、一言ご相談ください。何か案は出るかもです。


あれ?何の話だっけ?まあいいや。

ガキの高校総体の試合があったので見てきたんだよ。初めて見に行った。最後だからって。


当たり前だけどJKだらけ。いい目の保養になったよ。目の保養とかガキに知られたら、一生口を利いてもらえないだろうなww


そのJKたちだが、もちろん試合に出れる子、出れない子、色々いるわけだ。


親などの部外者は、試合に出れなかった子たちと同じ席で観戦するんだけど、時折、応援しながら話しているJKの会話が耳に飛び込んでくる。その内容が


ハッキリ言ってバカだwww


でも夢物語のような話を仲間内でできるのも、その年代の特権だよな。こないだの投稿では自分の40年前のことにも少し触れたけど、俺もこうだった。不祥事で最後の高校総体の試合にも出れず応援組だったし、競技は違うにせよ、この応援席の子たちと一緒よ。


また思い出してしまって軽く涙目になったよ。俺はもうダメかも知れないww


このJKたちは、まだ何者にもなれる可能性がある。未来は無限大だ。もちろんそれは自分次第なので、こんなおじさん(俺)のように無為に過ごしてしまうなよ、とだけ思うわ。


そして、何歳までを青春というのか知らないけど、とにかく青春を力一杯謳歌してほしいよね。


40年後、恐らく俺は生きていないだろうが、会話を聞いてしまったから君たちがどうなっているか興味はあるよね。どこの誰だかすら知らないJKだけど。


自分の高校時代を振り返ったら、生まれて初めて彼女ができたのも高校生の頃だった。高1かな?キャッキャ言ってるJKを見つつ、その時のことを思い出したら流石に戻りたくなったよ。 


いいなー青春時代真っ只中で。。

先日、LOUDNESSというバンドのライブハウスに行ってきたんですよ。昔からファンなのですが、自分を音楽の世界に引き摺り込んだのは彼らでした。


それが丁度40年前。


その40年前に発売したアルバムがあるのですが、今回のライブは、そのアルバムのツアーだったんですよ。そして、そのツアーに際して、ギタリストの高崎晃はこう言っていた。


音楽と人生には密接な関係があり、曲を聴けば誰もが人生を振り返ることができる。」


と。

(下記記事より引用)



例えばさ、20年前とかの曲が不意に流れてきた時に、その当時のことを思い出したりしないか?


振り返ると、友達とバンドを初めて、無謀にも初めてコピーしたのもラウドネスだった。それもこのアルバムの曲だった。


このアルバムの曲は全曲歌詞までほとんど覚えてる。そこまで聴き込んだアルバムだから、本当に楽しみにして行ったんだ。当然だけど、ライブに行くにあたり、そのアルバムをまた聴き込むじゃん?



Apple Musicに入っているからそれで聞いてたんだけど、何度聞いても特にノスタルジーに浸ることもなく、ライブまでウキウキだったさ。チケット買ってから、他のことに一切興味がなくなるくらいにウキウキな日々が続いたね。一つのライブをここまで心待ちにしたのは生まれて初めてかも知れない。


そしていざライブ当日である。


割と前の方で観れた。



前述のアルバムの曲を、アルバムの曲順通りに演奏するという珍しい完全再現ライブで、それが終わると、次に第二部として普通のライブ。


いざライブが始まるとね、MCなんかでもやたらと40年前がどうこう言うから、やはり思い出すわけよ。


そして俺はまさかの

超ネガティブ

にwww


このアルバムを聴いたのは俺もまだ紅顔の美少年だった頃。初めて聴いた時はそのカッコ良さがショックだった。振り返ればたくさんの思い出があり、そして、その時の俺の未来は無限だったはず。


しかし思い出すのはネガティブなことばかり。いえね、あの頃、毎日楽しかったんですよ。でも思い出すのがネガティブなことばかりだったんですよ。とは言え、ネガティブって言ってもつまらんことですけどね。


告白したら振られたなあとか、生まれて初めてできた彼女にも振られたっけなあ。元気かな?あの子。高校総体の最後の試合、自業自得だけど個人的な不祥事で出られなかったよなぁ、とかね。


この辺までは、まあ普通の「思い出」のレベルさ。そこまでは良かった。しかしライブが進んでいくと、MCの一つをきっかけにとんでもない大物が俺の心に去来してしまった。


俺はこの40年間何をしていたのだろう?


そこからドヨーンとなりましたねwww


享楽的に生きてきたことにはあまり悔いは無い。楽しみを我慢して真面目にコツコツ働くことなんてできなかったと思う。


でも、40年間、否、人生において、俺は何一つ成し遂げていない。何もかもが中途半端だ。成し遂げるって言っても、昔の偉人みたく何か大きなことを成し遂げるってことじゃないよ。困難や犠牲を伴う大志ではなく、個人的なちっぽけな願望とか目標に過ぎないのに、そこに向かって継続的に努力することができていない。


何一つ成し遂げていないことなんてとっくに気付いていて、だから俺の辞書には「集大成」という言葉は載っていない。


それに気づいて以来、自分の大きなコンプレックスの一つではあったんだけど、それが改めて炙り出されてしまった。しかも40年間という、それなりに長い期間の振り返りを伴って。


ライブは本当に楽しかった。1曲目2曲目は当時コピーした曲で、今も叩ける曲(下手なりにね)。本当に思い入れが強かった曲だからその時点でもう泣いてたね。


しかしそのあとは前述のようなネガティブな状態で楽しむことになってしまったわけさww


今回は人生でも有数の落ち込みかもしれない。しばらくは立ち直れないだろうな。だからって何かが変わるわけではないよ、大人だもの。元からある希死念慮は強まったけどね。(自らは死にませんからご安心ください)


俺、あんま知られてないけど、実は超ポジティブシンキングなんですよ。だから何かで落ち込むって実は珍しい。今はともかく、この先のいつか、まだ俺が落ち込んでいたら、その時はとても優しく慰めてあげてください。お願いします。