文覚の登場 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです



注意●ネタバレあり

◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

第3回に登場する人物の予習


文覚〈市川猿之助〉


文覚(もんがく)(1139〜1203)

俗名・遠藤盛遠(もりとお)

摂津源氏傘下の渡辺党遠藤氏の出身


僕が初めて
文覚を知ったのは
7年前(2015)の鎌倉散歩です
初めは「もんがく」と読めませんでしたw


上のブログ文中の

統子(とうし・むねこ)内親王は

鳥羽天皇第2皇女で

母は中宮藤原璋子(待賢門院)です

後白河天皇の准母として立后

崇徳朝の賀茂斎院も勤めます

院号は上西門院(じょうさいもんいん)


『源平盛衰記』等を題材にした

菊池寛の戯曲『袈裟の良人』を映画化

『地獄門』のストーリーを書いておきます


上西門院を救うための身替りとなった

袈裟御前(けさごぜん)の美しさに

遠藤武者盛遠は心を奪われます

源氏を破った論功行賞に

平清盛から「望み通りの褒美」と言われ

即座に袈裟を乞うたそうです

しかし袈裟はすでに渡辺渡の妻

(同僚・渡は盛遠の従兄弟みたい)

袈裟から「夫を殺してくれたら」と言われ

盛遠が夜中に討ち取った首は

身替りとなった袈裟御前の首でした

その数日後、頭を丸めた盛遠は

京を離れ苦悩の旅に出たそうです



19歳で出家した盛遠

神護寺の再興を

後白河院に強訴したため

渡辺党の棟梁である源頼政の知行国

伊豆国に流されます


同じく伊豆に配流の身だった

源頼朝と出会うわけです


首から下げた袋の中に

ドクロを入れて持ち歩きます

平治の乱で戦死した

源義朝(頼朝の父)のシャレコウベ

京の獄の前に捨てられていたのを拾い

ずっとお守りしてきたと

言うのですが、

これは完全な嘘っぱち!!

義朝が死んだのは尾張国野間

(現在の愛知県知多郡美浜町)ですからw


とにかく頼朝に

平家打倒の挙兵を促す文覚


『平家物語』では

伊豆から京都まで8日で往復して

後白河院の院宣をもらってきた

とか書かれているそうです


どうなりますことやら。。。