文覚上人屋敷迹 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです



○2月12日 鎌倉散歩

釈迦堂から
田楽辻子のみちを
次の目的地 荏柄天神社へ
向かう途中に建っていた石碑です

●文覚上人屋敷迹

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>碑文コピー

文覚俗称ヲ遠藤盛遠ト云ヒモト院ノ武者所タリシガ年十八想ヲ左衛門尉源渡ノ妻袈裟御前ニ懸ケ郤テ誤ツテ之ヲ殺シ愴恨ノ餘僧ト為ル其ノ練行甚ダ勇猛ニ邪寒盛暑林叢ニ露臥シ飛瀑ニ凝立シ屡死ニ瀕ス
養和二年四月頼朝ノ本願トシテ弁財天ヲ江島ニ勧請シ之ニ参籠スル事三七箇日食ヲ断ツテ祈願ヲ凝ラセリト此ノ地即チ其ノ当時文覚ガ居住ノ旧迹ナリ
大正十一年三月建 鎌倉町青年団




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文覚上人 (Wikipediaより)


文覚(もんがく)
1139~1203
僕は全く知らなかった坊主ですが
知る人ぞ知る有名人らしいですね(汗)

俗名・遠藤盛遠(もりとお)
元々は北面の武士で
鳥羽天皇の皇女・統子内親王に
仕えていたようです

袈裟御前(けさごぜん)
という人妻に横恋慕し
誤って殺してしまったことから
出家したようですが
そのあたりの事情が
ドラマの題材として
人気があるようですね
映画『地獄門』は
カンヌ映画祭グランプリを
受賞しています


出家した文覚は
神護寺の再興を強訴し
後白河院の逆鱗に触れ
伊豆に流され
同じく配流の身の源頼朝と
運命的にめぐりあい
平家討伐の蜂起をうながす
・・・
そんな流れになるのでしょう

平家滅亡の頃には
頼朝の信頼のみならず
後白河院からの援助も受け
神護寺はじめ
諸大寺の復興事業に
尽力することになります


上の碑文には
養和2年(1182)
江ノ島に弁財天を勧請し
3×7 21日間 参籠し断食した
と記されています

この前後の滞在は
認められるものの
文覚上人が どの程度の期間
鎌倉に居住したかについては
はっきりしていないとのことです



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このあとのウォーキング
滑川に架かる大御堂橋を渡ります

おっと
大御堂関連のスポットは
見落としてしまったようです(汗)

また日をあらためて歩きます