山木兼隆と目代について | 芳村直樹のブログ

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◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

伊豆半島 画像はWikipediaより借用


今回は

目代(もくだい)について

勉強してみようと思います




古代日本の律令制度では
地方の行政官として
中央から
国司(こくし・くにのつかさ)が
派遣されました
四等官(しとうかん)である
守(かみ)介(すけ)掾(じょう)目(さかん)
を指します

班田収授制における
戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収受などは
いずれも国司の職務でした

平安時代に入り
親王任国の制度が始まりました
 皇子皇女が増え
 充てる官職が不足したため
 常陸国、上総国、上野国の国守は
 親王が太守に任じられたのです
親王太守は現地へ赴任しない
遙任(ようにん)だったため
親王任国の実務上の最高位は国介でした

さらには
任国へ赴任しない遙任国司が現れました
実際に現地赴任する国司(守介掾目)の
責任者筆頭を
受領(ずりょう)と呼びます

平安後期には
知行国制度ができます
有力貴族・寺社・武家が
特定の国の知行権(所有支配権)を得る制度で
知行国主は
知行国の受領に
縁者や係累を任命し
官物収得権を保有するようになりました

遙任国司が
現地に派遣した代理人のことを
目代(もくだい)眼代(がんだい)
と呼びます
当初は公文作成などの能力に優れた者が
登用されていたようです

平安末期
各地で武士団が勃興すると
知行国主や受領は
武力に長けた人物を
目代に派遣するようになりました

在庁官人らは
目代の監督の下
租税収受、軍事などの実務にあたりました



注意●ネタバレあり

第3回に登場する人物の予習

目代・山木兼隆(やまきかねたか)が
出番のようです


山木兼隆〈木原勝利〉


平兼隆、大掾兼隆ともいいます

坂東平氏・国香流

常陸平氏・大掾氏の庶流の出です


検非違使少尉として平時忠の下で活躍

また

白山事件では後白河院から

天台座主明雲解任の警備を任されています

その後

伊豆国に目代として赴任します


『曾我物語』などでは

源頼朝と娘政子の交際が

平家に知られるのを恐れた

北条時政が

山木兼隆と政子の婚姻話を進めたが

頼朝と政子は

伊豆山権現に逃げ込んだため庇護されて

山木兼隆が激怒した

という話になっているそうです


長女・大姫の生年などから考えて

物語上の創作と考えられています


治承3年の政変の後

懇意あった伊豆国主・平時忠から

伊豆目代を任ぜられた

とありましたが、


治承3年の時点で

伊豆国の知行国主は

源頼政です

治承4年(1180)5月

以仁王の乱で

頼政と、その子・仲綱が討たれ

6月29日

平時忠が伊豆国の知行国主になり

猶子の平時兼が伊豆守に任命されています


その後ようやく

山木兼隆が目代となるわけです