大徳寺の伽藍 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


この秋
もしもしもしも
行けた時のために
大徳寺の伽藍を
予習しておきます


鎌倉末期
大燈国師宗峰妙超によって開かれた
龍宝山大徳寺

創建当初は
小さな庵でしたが、
その後
小伽藍の北、西、南三方に
いくつもの塔頭が営まれ
寺域が拡張されたとのこと

江戸初期
開山300年忌の際に
大規模な増改築が施され
現在のような景観が
整えられたようです


大徳寺
本坊伽藍は
南北の軸線上に
南から
□勅使門
□山門「金毛閣」千利休切腹の原因
□仏殿
□法堂(はっとう)
と並んでいます
いずれも〈重文指定〉です


大徳寺仏殿 画像はWikipediaより借用


山門のすぐ北にある

仏殿 (すなわち本堂) は

屋根が二重で本瓦葺

典型的な禅宗様建築です

寛文5年(1665)京の豪商

那波常有(なわじょうゆう)の寄進で

建てられました

本尊・釈迦如来像を安置します

板張りの鏡天井に

狩野元信の作とされる

天人2体と雲が描かれているそうです



大徳寺法堂 画像はWikipediaより借用


法堂は

寛永13年(1636)

小田原城主稲葉正勝の遺命で

その子正則が寄進しました

正面の須弥壇は

住持が説法を行う時に

登壇する場所であり

壇上には仏像が置かれていません

天井は狩野探幽の雲龍図が描かれます




東側には

南から

□浴室

□経蔵

□鐘楼

西面して建ちます

いずれも〈重文指定〉です


法堂の北側には

□庫裏

〈重文指定〉


大徳寺庫裏 画像はWikipediaより借用


庫裏の東側に

□方丈

「方丈および玄関」は《国宝》です


大徳寺方丈

撮影禁止のため 栞の写真を借用

方丈前庭は

国の史跡・特別名勝に指定されています

169世 天祐紹杲(てんゆうしょうこう)作庭?


方丈は

寛永12年(1635)

玄関は

その翌年(1636)

京の豪商・後藤益勝の寄進で建てられました


元来は住職の居室でしたが

のちには応接・行事用に使われました

単層の和風建築

屋根は入母屋造の桟瓦葺き

南北2列に4室ずつ東西に並び計8室

狩野探幽筆の水墨山水画84面の襖絵が

遺されているそうです〈重文指定〉


方丈背面にある

「雲門庵」には

開山大燈国師を祀ります

「私の死後、別の寺を建てる必要はない」

との遺言によるものだそうです




□唐門《国宝》


切妻造、檜皮葺の四脚門

前後軒唐破風付の向唐門


元々は秀吉の聚楽第の遺構

本願寺、豊国神社の唐門とともに

「桃山の三唐門」に数えられるそうです



以上

おおまかに

本坊の伽藍をまとめました

いずれも

平時は内部非公開とのことですが

僕としては

外観を見て廻るだけでも

けっこう満足できるように感じています


ググっていたら

昨年の秋

大徳寺方丈

10年に及ぶ大規模修理の前に特別公開

てな YouTube動画がありました


そういうの・・見たかったけれど、

完全予約制だったみたいで

そういうの・・めちゃ苦手ですwww