先日、大西巨人の『神聖喜劇』を読みました。

同書は大東亜戦争中に召集補充兵として対馬要塞重砲兵聯隊に入営した東堂太郎を主人公とする長編小説ですが、作者自身が対馬の屯営で過ごした経験に基づいていますので、当時の兵営や砲台の様子を垣間見ることができます。中でも高浜演習砲台の施設配置が詳しく描写されていますので、引用して説明を加えてみます。

 

高浜演習砲台と対馬要塞重砲兵聯隊についてはこちらをご覧下さい。

対馬要塞探訪62 ~高浜演習砲台(前編:概略と重砲演習砲台)

対馬要塞探訪63 ~高浜演習砲台(後編:八八式海岸射撃具演習砲台)

対馬要塞探訪㉙ ~対馬要塞重砲兵聯隊

 

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「高浜演習砲台(放列陣地)正面は、ほぼ真東に向かっていた。左射界(の水平線)は、東北東方(直線距離約三千五百メートル)の網掛崎によってさえぎられ、右射界(の水平線)は、南南東方(直線距離約七百メートル)の上根緒島によって限られた。
屯営からの往路において、「オッチャニッソラ」の坂道は、右側が山林であり、左側が主に切り岸である。われわれは、切り岸の樹間を通して、鶏知浦や高浜港やを望むことができた。
放列陣地(砲側)からは、鶏知浦の一部だけが、見えた。三八式野砲砲床(放列陣地)は、一から十まで天然の地面だった(言い換えれば、それは、部分的にもコンクリートとか三和土とかによっては構築せられていなかった)。
高浜演習砲台には、放列陣地(野砲砲床四)のほかに、観測所一、四五式十五加砲床二、二十八榴(二十八糎榴弾砲)二、砲側器材庫一、厠一などが、存在した。
観測所(円柱形・直径約六メートル・高さ三メートル・鉄筋コンクリート造)一棟は、放列陣地斜め後方(北西方)の小丘陵上に、下半分が地中に埋もれた様式で、設置せられていた。
四五式十五加砲床(円孔・直径八メートル弱・深さ約一メートル半・コンクリート造)二個は、放列陣地(野砲砲床)の後方(西方)五十メートル前後にあった。おそらくかって四五式十五加常備の計画が立てられたものの、それが、砲床だけの築造せられた段階において、沙汰止みになったのであろう。放列陣地と十五加砲床との間には、土地の起伏が多少あって、そこには、雑草や灌木やも生えていた。
二十八瑠二基は、十五加砲床の後方(西方)約四十メートルに備え付けられ、高さ一メートル数十センチの石垣が、前者と後者とをへだてた。より正確には、二十八瑠二基は、内陸方向(西側)以外の三方向(東側、北側、南側)を石垣で仕切られていた。二十八瑠二基は、実戦用ないし演習用としてではなく、歴史的記念物として、据え置かれるらしかった。もっとも、『砲兵操典』第二部「附録」其の二には、「二十八瑠丿使用法」全十五箇条が現に存在するのであって、また幹候、下士候などは、いまなおあるいはその操法を教育せられる由であった。
野砲砲床四個(各間隔約十メートル)は、直線上に位置した。野砲砲床四個間の直線と十五加砲床二個間(約三十メートル)の直線とは、また後者と二十八瑠二基間(約十メートル)の直線とは、いずれも平行していた。
砲側器材庫(約二十五坪[約八〇平方メートル]・西表・木造)一棟は、二十八瑠の斜め後ろ(北北西方)二、三十メートルにあって、厠(大用一人前、小用三人前・南表・木造)一棟は、器材庫の斜め前(北北西方)約五メートルにあった。器材庫の他の斜め前(西南西方)約三十メートルは、高浜演習砲台の出入り口(門柱一対)になっていたが、門扉の類は、なかった。門外路傍に、軍用地を表示する一個の小さな標石があって、「地方」と演習砲台との境目には、鉄条網が張りめぐらされた。
屯営よりの野砲輓曳往路において、われわれは、出入り口をを入るや、ただちに右折し、三、四十メートルにして左折し、さらに八、九十メートルにして左折し、つまり二十八瑠二基や十五加砲床二個やの在処をコの字形に迂回して、放列陣地に到着する。」
(神聖遊戯 第4巻 P256~257)

 

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妙に詳しく書かれていますが、一回読んだだけでは全然頭に入ってこない…(^^;

 

まずは場所を確認。高浜演習砲台は鶏知の重砲兵聯隊兵営から南西約2㎞にあります。なお、射界をさえぎる左方の綱掛崎と右方の上根緒島にも線を引いてみました。

 

続いて、砲台内の配置を図に表してみました。

 

現在の演習砲台跡地にはホテルが建設されて山も削られていますので、当時の砲台配置を把握するのは難しいです。唯一、丘陵地に観測所跡が残っています。

 

戦時下の昭和18年(1943)に編纂された『現代本邦築城史』の砲台位置要図には、高浜演習砲台の備砲として十五糎加農、二十四糎加農、二十八糎榴弾砲が各2門書かれていますが、上記の砲台描写では二十四糎加農について言及されていません。作品内の描写が筆者の体験に基づく正確な物だと言う前提に立っていますが、実際のところはどうだったのでしょうね。

 

四五式十五糎加農の砲床について、「おそらくかって四五式十五加常備の計画が立てられたものの、それが、砲床だけの築造せられた段階において、沙汰止みになったのであろう。」と書かれていますが、史料の『対馬要塞司令部歴史』には、準戦備下令に伴い、「昭和16年7月27日 高浜砲台の十五加二門を撤去し海栗島砲台へ輸送」とあります。作品は昭和17年1月から4月が舞台ですので、撤去後の砲床のみの状態だったことが窺えます。

なお四五式十五糎加農の教練は、実際に戦備された大崎山砲台に出向いたことが作品中に描かれています。

 

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砲台のレポートはこちらにて。

対馬要塞探訪㊲ ~大崎山砲台(前編)

対馬要塞探訪㊳ ~大崎山砲台(後編)

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作品では兵営から三八式野砲を輓曳して演習砲台に向かう様子が描写されています。

「三八式野砲の砲床四つが高浜演習砲台に設けられているから、われわれは、いつも四門を輓曳して行く。操桿手(言わば「舵手」)二名、輓曳手十二名、制転機手一名、合計十五名が、一門当たりの輓曳行軍要員である。」(神聖遊戯 第4巻 P254)

ちなみに、作品では三八式野砲の実弾射撃の手順も詳しく描写されていますので大変興味深いです。

 

(軍事と技術 (2月號)(98) 1935-02 より引用・抜粋)

 

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(神聖遊戯 第5巻 P141)

「演習砲台より南西方へ二百数十メートルの山上に、演習用の八八式海岸射撃具(電計照準観測具)が、設置せられているそうであった。」

 

この描写にある八八式海岸射撃具は、昭和5年(1930)9月に砲台南側高地に構築されました。史料を見ると、砲台1、観測所1、軍道305m、雑工作物(規正標柱、水尺)2が防御営造物として鶏知重砲兵大隊(のち聯隊)に渡されています。

詳細は「対馬要塞探訪63 ~高浜演習砲台(後編:八八式海岸射撃具演習砲台)」をご覧下さい。


配置は以下の通り。破壊されていますが観測所と砲座が残っています。

 

以上、『神聖喜劇』における高浜演習砲台の描写でした。

 

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[参考文献]

「神聖喜劇 第1巻~第5巻」(大西巨人著 光文社 1980)

「現代本邦築城史」第二部 第二巻 對馬要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック」(対馬観光物産協会)

「対馬要塞物語2」(対馬要塞物語編集委員会)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用

「軍事と技術 5(4) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「軍事と技術 (2月號)(98) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「対馬といふところ」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「美津島町誌」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「対馬島誌 増訂」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「鶏知重砲兵大隊演習砲台増築工事の件」(Ref No.C01003912000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「鶏知重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具及同具砲補修工事実施の件」(Ref No.C01004801500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「鶏知重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具及同具砲補修工事竣工図書の件」(Ref No.C01004802600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「土地買収の件」(Ref No.C03011935200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「創立第41年 昭和14年」(Ref No.C14111012900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「45式15糎加農借用の件」(Ref No.C01004539600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞防御営造物建築工事着手の件」(Ref No.C01004189600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事に関する件」(Ref No.C01004212500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「基隆、旅順、対馬要塞15珊加農演習砲台新築工事実施の件」(Ref No.C01004314100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「防御営造物引継済の件(築本)」(Ref No.C0100431910 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬長崎演習砲台架設の件」(Ref No. 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「戦備用火砲の一部を重砲連隊に貸与の件」(Ref No.C01004535100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞元軽砲演習砲台敷地等の件」(Ref No.C03010910600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬演習砲台改築補修工事施行方の件」(Ref No.C07071953000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「軽砲台敷地買収の件」(Ref No.C07041570700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「建築部より 敷地買収の件」(Ref No.C07041544200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬重砲台交通路敷地買収の件」(Ref No.C07041590800 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞司令部歴史 明治19.12.3~昭和20」(Ref No. 国立公文書館アジア歴史資料センター)