明治4年(1871)に健軍された大日本帝国陸軍は、敵国艦隊の襲来に備えて国土防衛上の沿岸要衝に海岸砲台の建設を進めましたが、その一方で砲台の守備に就く要塞砲兵隊の編成に着手し、明治22年(1889)に砲兵隊の将校・下士官を養成する幹部養成所(のちの陸軍重砲兵学校)を開設したのち、明治23年(1890)に横須賀と下関に要塞砲兵連隊を創設しました。

これ以降各地の要塞には砲兵連隊もしくは砲兵大隊が組織されましたが、これら砲兵隊の兵営は砲台や堡塁から離隔した市街地に構築されましたので、平時に教練を実施するための演習砲台が兵営の近隣に置かれることになりました。

 

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対馬の演習砲台に関する史料は非常に少ないので不明な点が多いですが、以下推察を交えて説明していきます。

 

明治33年(1900)、重砲兵聯隊の前身である対馬要塞砲兵大隊が厳原から鶏知に兵営を移転しました。演習砲台に関しては、「演習重砲台」と「演習軽砲台」の建設用地として鶏知村内での敷地買収伺いが明治32~33年にかけて出されていますので、砲台建設は明治30年代半ばに行われたと推察されます。

 

重砲台は二十八糎榴弾砲、二十四糎加農、軽砲台は十二糎加農、九糎臼砲が配備されたと考えられます。具体的な火砲や門数は不明ですが、明治42年に二十四糎加農2門の備付に要する砲台築設の伺いが為されています。

 

昭和6年(1931)の『軍事と技術』に掲載された二十四糎加農演習砲台です。

 

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さて、重軽両砲台の買収予定地は兵営と同じく鶏知村でしたので、両砲台とも兵営から東南方約2㎞にある鶏知湾口の高浜に建設されたと思われますが、この場所は少々手狭だったようで、明治36年に改築補修工事に関する儀が提出されています。

なお、鶏知の兵営から約10㎞離れた浅茅山(大山嶽)に永久築城の堡塁砲台履歴に書かれていない砲台跡が残っていますが、もしかしたら軽砲台は改修補修工事に伴いこちらに移設された可能性があります。

 

【参考記事】

 
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大正期に入ると要塞整理にて多くの堡塁砲台が廃止されましたが、演習砲台においても大正6年(1917)4月5日付の陸軍省の通達で、「移動性ヲ有スル現制火砲ノ使用上軽砲演習砲台ハ教育上必要ナキニ依リ之ヲ廃止ス」とされました。これに従い対馬要塞の軽砲演習砲台も廃止され、跡地は重砲兵大隊の作業場となりました。
 
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重砲の演習砲台は高浜演習砲台(鶏知重砲兵大隊演習砲台)としてその後も存続しましたが、史料に残る記載は以下の通りです。
 
・大正13年(1924)・高浜演習砲台敷地として民有地を買入
・昭和3年(1928)・二十八糎榴弾砲4門の据付替工事、露天観測所及び小隊長位置を新築
・昭和12年(1937)・二十八糎榴弾砲座の東北方約40mに十五糎加農を据付(海栗島砲台の火砲を借用)
・昭和16年(1941)・大東亜戦争における準戦備下令に伴い、十五糎加農2門を撤去し海栗島砲台に移送
 
なお昭和5年(1930)9月には、新たに開発された八八式海岸射撃具の演習用として射撃具砲と観測所が砲台南側高地に構築されましたが、この時の防御営造物受領は、砲台1、観測所1、軍道305m、雑工作物(規正標柱、水尺)2でした。
 
以上のような整備が行われたのち昭和16年12月に大東亜戦争が開戦しましたが、戦時下の昭和18年(1943)に編纂された『現代本邦築城史』の砲台位置要図には、高浜演習砲台の備砲として十五糎加農、二十四糎加農、二十八糎加農が各2門書かれています。
 
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説明の最後に、鶏知重砲兵大隊(のち対馬要塞重砲兵聯隊)の兵営と高浜演習砲台の位置を1947年の空撮で示します。先ほども書いた通り兵営~砲台間は約2㎞です。

 

【参考記事】

 

 

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演習砲台の説明が終わりましたので、次は遺構を紹介していきます。

 

見取図です。鶏知湾口の高地に重砲の演習砲台、南側に八八式海岸射撃具の演習砲台が置かれています。

 

続いて重砲を据え付けた高浜演習砲台の見取図です。

 

砲台跡地には戦後に対馬グランドホテルが建設されたため山が大きく削られてしまいました。ヤブ化も進んでおり思うように探索することができませんでしたが、三角点附近に破壊された観測所が残っています。

 

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それでは現地を訪れます。

 

駐車場の脇に「弾薬庫跡」と書かれた遺構が残っています。

 

実際これがどの部分を構成していたのか分かりませんが、弾薬庫跡とするなら砲座の胸墻に設けられた弾室かもしれません。

 

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続いて電柱の裏から山に入ります。道筋があるので上がっていくと、弾丸のような物体が転がっています。

 

弾丸の隣には石膏?の筒が立っています。

 

弾丸(仮)の側面にも石膏が付着していますので筒の上に乗っかって石膏で固められていたようですが、なぜそのようなことをされたのでしょう?

 

近くに四等三角点が埋設されています。

 

“A”の場所に残る石積み。ココに砲座があったのかもしれませんが判断つきません。

 

“A”の後方に削平地“B”があります。

 

“C”の場所は交差点になっています。

 

下る階段がありますがホテルは目の前ですので、見られたら間違いなく怪しまれます(;'∀')

 

石段を上がって平坦地Dに向かいます。

 

石積みが施された通路を進みます。

 

平坦地Dにはコンクリート壁が残っています。

 

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交差点Cに戻って北側に進むと観測所の入口があります。

 

内部は破壊されて原型を留めていません。

 

振り返って入って来た所を見ています。

 

コンクリート壁が残っていますが、おそらく半地下構造だったかと。

 

左前方が半円状になっていますので、ココが測遠機室だったのでしょう。

 

パッと見で八八式海岸射撃具観測所かと思いましたが、半円部分は測遠機を使った通常の観測所に見られる構造ですので、この施設は二十四糎加農の観測所だったのかもしれません。

 

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測遠機室の前方に何も彫られていない石柱が埋設されています。

 

さらに進むと石積みされた掩体があり、中には機器設置台座が置かれています。

 

機器設置台座は八角形体で、頭頂部にボルト8本の痕跡があります。

 

他地域の陸軍砲台や海軍の防備衛所にも酷似した台座を残っています。用途は不明ですが、測距儀などの観測機器を置いたのではないでしょうか。

 

以上、藪の中で確認した遺構でした。

後編では八八式海岸射撃具演習砲台の遺構を見に行きます。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第二巻 對馬要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック」(対馬観光物産協会)

「対馬要塞物語2」(対馬要塞物語編集委員会)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用

「軍事と技術 5(4) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「対馬といふところ」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「美津島町誌」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「対馬島誌 増訂」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「鶏知重砲兵大隊演習砲台増築工事の件」(Ref No.C01003912000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「鶏知重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具及同具砲補修工事実施の件」(Ref No.C01004801500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「鶏知重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具及同具砲補修工事竣工図書の件」(Ref No.C01004802600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「土地買収の件」(Ref No.C03011935200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「創立第41年 昭和14年」(Ref No.C14111012900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「45式15糎加農借用の件」(Ref No.C01004539600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞防御営造物建築工事着手の件」(Ref No.C01004189600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事に関する件」(Ref No.C01004212500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「基隆、旅順、対馬要塞15珊加農演習砲台新築工事実施の件」(Ref No.C01004314100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「防御営造物引継済の件(築本)」(Ref No.C0100431910 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬長崎演習砲台架設の件」(Ref No. 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「戦備用火砲の一部を重砲連隊に貸与の件」(Ref No.C01004535100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞元軽砲演習砲台敷地等の件」(Ref No.C03010910600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬演習砲台改築補修工事施行方の件」(Ref No.C07071953000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「軽砲台敷地買収の件」(Ref No.C07041570700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「建築部より 敷地買収の件」(Ref No.C07041544200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬重砲台交通路敷地買収の件」(Ref No.C07041590800 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞司令部歴史 明治19.12.3~昭和20」(Ref No. 国立公文書館アジア歴史資料センター)