珠数山演習砲台は4年前にレポートしましたが、今年3月にXフォロワーのはるさん(@Harukovsky)と一緒にああだこうだと考察しながら再訪しましたので、探訪記事を書き直します。

 

下関要塞の演習砲台概略は以下の記事にて。

 

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珠数山(じゅずやま)は下関市南西の響灘を望む場所に聳える山でした。現在は宅地化が進み山が削られたため珠数山の存在自体が風化した感がありますが、かってこの地には下関要塞の演習砲台が置かれていました。

 

アジ歴に残る史料は少ないのですが、推測を交えて書いた履歴は以下の通りです。

 

1.軽砲演習砲台時代(?年~大正6年)

大正4年10月27日付で竣工図書が進達されていますが、この日付が砲台の完成日なのか増設完了の日なのかは不明です。もしかしたら砲台自体は明治期に造られていたのかもしれません。

備砲は不明ですが、史料に「軽砲演習砲台」として記載されているので、九糎や十二糎加農、九糎臼砲などの教練用だったと思われます。

大正6年(1917)4月5日付の陸軍省の通達で、「移動性ヲ有スル現制火砲ノ使用上軽砲演習砲台ハ教育上必要ナキニ依リ之ヲ廃止ス」とされました。これに従い各要塞の軽砲演習砲台は随時廃止されましたが、数珠山演習砲台も同様に廃止されたと思われます。

なお廃止後の大正6年7~12月ごろにかけて、珠数山砲台敷地内に「金比羅山堡塁珠数山観測所」が新設されたようです。

 

2.重砲演習砲台時代(大正15年~昭和20年)

大正末期から昭和初期にかけての史料には「下関重砲兵連隊演習砲台」の文字が散見されますが、旧珠数山と旧隠山の砲台敷地を再整備して重砲を用いた演習砲台を新設したようです。

 

下関重砲兵連隊二十八糎榴弾砲演習砲台(旧隠山砲台敷地内に建設と推測)

・大正13年(1924)9月、下関重砲兵連隊演習砲台新設工事の実施認可

・大正14年(1925)4月、下関重砲兵連隊演習砲台竣工

・大正15年(1926)2月、下関重砲兵連隊演習砲台に二十八糎榴弾砲4門の備砲完了

 

下関重砲兵連隊二十四糎加農演習砲台

・大正14年1月、数珠山演習砲台敷地として民有地を買収(二十四糎加農砲台分)

・大正15年7月、下関重砲兵連隊二十四糎加農演習砲台新設工事の実施認可

・昭和2年(1927)3月、旧芸予要塞大久野島北部砲台据付の二十六口径二十四糎加農4門を珠数山に移設、備砲完了

・昭和2年7月、下関重砲兵連隊二十四糎加農演習砲台の新設工事竣工

 

3.八八式海岸射撃具の整備(昭和3年~昭和11年)

八八式海岸射撃具は昭和3年に仮制式制定された新たな観測兵器です。実戦配備と合わせて教練用に各要塞の演習砲台にも備え付けられましたが、数珠山演習砲台においても構築されました。

 

なお教練用には演習砲と観測所がセットで構築されることが多かったようですが、佐世保要塞馬川演習砲台には演習砲と観測所が現存しています。八八式海岸射撃具の説明とともに以下の記事をどうぞ。

 

珠数山における構築状況は以下の通りです。

・昭和3年(1928)5月、数珠山演習砲台北側に「遠距離用観測所」を増築

・昭和4年(1929)5月、二十八糎榴弾砲用観測所の東側地区に「八八式海岸射撃具砲々座」を1個新設

・昭和10年(1935)2月、二十四糎加農砲台左翼観測所西方約15m、標高44m付近に「八八式海岸射撃具分観測所」を1個新設

・昭和11年(1936)11月、八八式海岸射撃具分測遠機の据付工事竣工

 

「遠距離用観測所」とは八八式海岸射撃具観測所のことです。史料には「数珠山演習砲台北側隠山旧砲台内西北端附近ニ遠距離用観測所ヲ新築ス 其様式ハ電気式測遠機用トシ中隊長室、測遠機室、算定具室、通信室等を設クルモノトス」と書かれています。

南側の二十四糎加農砲台内に設けられたのが「分観測所」ですので、砲台北側が「主観測所」だったのでしょう。なお分観測所は現存していますが、主観測所や二十八糎榴弾砲台が置かれた砲台北側は宅地化のため遺構は消滅しました。

 

「八八式海岸射撃具砲々座」はコレ。津軽要塞が築かれた函館山に残っています。

 

八八式海岸射撃具の操作に熟知するための演習用として「八八式海岸射撃具砲」が導入されましたが、この演習砲は口径7.5㎝の三八式野砲をベースとした造られた物です。先述した通り、八八式海岸射撃具を置いた観測所とセットで構成されました。

 

参考記事はこちら。

 

 

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砲台の説明が終わりましたので、次は戦後に撮影された空中写真を見てみます。

 

北側が二十八糎榴弾砲台で、2門編成の砲座が2個写っているように見えます。南側には二十四糎加農砲台が築かれましたが、両砲台は軍道で繋がっており、道沿いには約30坪の兵員休憩所が設けられたようです。

 

二十四糎加農砲台を拡大。大きな円形が2つ写っていますが、おそらく大東亜戦争時の照空陣地で、空中聴音機と照空灯を置いた掩体だと思われます。

 

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前置きが長くなりましたが現地を訪れます。まずは見取図を掲載します。

 

備砲は二十六口径二十四糎加農4門で、廃止された芸予要塞大久野島北部砲台据付の火砲を移設しました。史料には移設作業の状況が克明に記されていますので大変興味深いです。→「演習砲台備砲工事実施並兵器調弁の件(アジ歴 Ref No.C01006063200)

 

遺構は砲座4、砲側庫2、観測所2とひと通り残っていますが、周囲は竹藪に覆われているため非常に見難いです。なお照空陣地の円形掩体AとBの地形は確認することができませんでした。

 

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宅地化で消滅した砲台北側から進入すると住宅地の先はダート道となりますが、道筋が戦後の空中写真と合致しますので当時の軍道と思われます。

 

最右翼の第1砲座ですが、竹藪でよく分かりませんね。

 

第2砲座は多少見やすいです。半楕円形のコンクリート胸墻の形状が確認できます。なお4つの砲座とも同型です。

 

第1と第2砲座の間に砲側庫①があります。

 

内部です。

 

奥の壁に「火の用心」の文字。戦後に書かれたと思われますが、弾薬に変えて危険物でも置いていたのでしょうか?

 

砲側庫の上部に小隊長位置が置かれています。

 

崩れていますが小隊長位置に上がる階段が設けられていたようです。

 

砲側庫の前に水槽のような方形桝があります。

 

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第3砲座が竹藪が薄くて一番見やすいです。

 

左後方より。

 

Rが美しいです。

 

胸墻前部に4つの穴。

 

左横墻に砲側庫②上部の小隊長位置が見えます。

 

第3砲座左前方の横墻にコンクリート壁が残っているので見てみます。

 

コンクリート壁は2つ並んでいます。横墻に上がる階段とか?

 

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砲側庫②です。①と同型ですが、小隊長位置の配置が異なります。

 

砲側庫①は左側配置でしたが②は右側に置かれています。

 

内部です。こちらには「火の用心」は描かれていません。

 

砲側庫の前にコンクリート柱が転がっています。

 

砲台左前方を下ると同じ物が並んでいますので境界杭でしょう。

 

境界杭の山側に陸軍所轄地と刻まれた標柱が埋設されています。

 

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砲台に戻って...第4砲座です。

 

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砲座を全て見終わった後で周辺を探索していると、縦筋の入ったコンクリート塊を見つけました。コレってもしかして...。

 

砲床の火砲据付部分に置かれていた“突起物”じゃね?

 

二十六口径二十四糎加農を据え付けた砲座にはこのような”突起物”が残っており、東京湾要塞観音崎第二砲台、芸予要塞来島北部砲台、鳴門要塞行者ヶ嶽砲台の3か所で見ることができます。

 

東京湾要塞観音崎第二砲台

 

芸予要塞来島北部砲台

 

鳴門要塞行者ヶ嶽砲台

 

加農砲の砲架を突起物に被せるように置いて砲床にボルトで止めた...って感じかと思われますが詳細は不明です。参考までに来島北部砲台に配備された火砲の写真を掲載します。(砲台が置かれた小島の休憩所に掲示されている写真より)

 

 

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ただ、移設元の大久野島北部砲台の砲座には円形にアンカーボルトが埋設されていますが“突起物”は残っていないんですよね。

 

大久野島北部砲台の記事はこちら。

 

 

以上、数珠山演習砲台の概略と砲座・砲側庫の紹介でした。

次は観測所を見に行きますが、長くなりそうなので続きは後編にて。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「下関重砲兵聯隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003808500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞除籍演習砲台附属補助建設物利用の件」(Ref No.C03010941300 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台関係竣功図書の件」(Ref No.C01007468800 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「八八式海岸射撃具改修の件」(Ref No.C01006648700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台増築に関する件」(Ref No.C01004055200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞珠数山演習砲台増築の件」(Ref No.C01003861100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習用24糎加農交換に関する件」(Ref No.C01006058400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003808500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「金比羅山堡壘観測所移築の件」(Ref No.C03022413900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞地帯一部改正及禁止制限解除の件」(Ref No.C03022441000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞珠数山演習砲台(88式分観測所)引継の件」(Ref No.C01004057200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具分測遠機据付工事竣功図書提出の件」(Ref No.C01004604300 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台増築に関する件」(Ref No.C01004055200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新設に関する件」(Ref No.C03022702100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵連隊演習砲台増築工事の件」(Ref No.C01003736700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「土地買収の件」(Ref No.C0301206200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台備砲工事実施並兵器調弁の件」(Ref No.C01006063200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台備砲工事実施の件」(Ref No.C03012228400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵聯隊24糎加農演習砲台新設工事実施の件」(Ref No.C03022754500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台竣功図書提出の件」(Ref No.C01003735900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003910600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「八八式仮制式外3点審議の件」(Ref No.C01001117400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「兵器を中心とした日本の光学工業史」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本光学工業五十年史 2 (日本社史全集)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第3巻 (兵器器材) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第1巻 (制度) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「偕行 (353);5月号」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「兵器読本」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第5巻 中 (回顧録 其の2)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)