馬川演習砲台は、新たな観測兵器として開発された八八式海岸射撃具の訓練用として、馬川兵舎西南方約250mの高地に設けられました。

 

地図で場所を確認します。

 

日露戦争(明治37‐38年)に勝利後、陸軍において沿岸防衛を見直す要塞整備が始まり、大正期に入ると要塞の廃止や新設が進みました。さらに大正期以降の軍艦は高速化と装甲強化により性能は飛躍的に上昇したため、従来の火砲や射撃観測では迎撃することが難しくなっていきましたので、旧式となった火砲に代えてより長距離射程で破壊力の高い火砲を据え付ける議論が活発となりました。

一方海軍においては、国際的な軍縮会議で保有艦艇の制限が設けられたため、廃艦もしくは工事中止となる艦艇が数多く出現しましたが、これら艦艇に搭載していた主砲塔に目を付けた陸軍は、砲塔加農として沿岸砲台に転用することを決定しました。

 

さて、砲塔転用と新規開発で新たな火砲据付けの方向性が決まったことにより、射撃を管制する観測兵器の開発が急務となりました。

これまでの射撃管制は、火砲に近接した観測所にて武式測遠機や応式測遠機を用いて測距し、射撃データを手作業で計算して砲側に伝声管を用いて伝えていましたが、このやり方では新たな火砲の管制や高速化した艦艇の迎撃には対応できませんでした。

そこで開発された観測兵器が八八式海岸射撃具で、昭和3年(1928年)に仮制式となりました。この観測兵器は、火砲に与える敵艦の距離・方向・航路・未来位置に関するデータを、算定具で迅速に電気的に決定して砲側照準具へ誘導できるものでした。測定距離も4万メートルまで伸びましたので、射撃速度が著しく早められたことだけではなく、観測所も砲台と遠く離れた場所に置くことが可能となりました。

 

さて、八八式海岸射撃具の構成は主測遠機、分測遠機、砲隊長鏡、電気算定具そして砲側に据え付ける照準具でしたが、配備する観測所は地下式としましたので、観測具に備付の潜望鏡をニョキっと地上に出して観測するスタイルとなりました。まさに潜水艦のようですね。

 

昭和3年の仮制式以降、この観測具は各地の砲塔砲台を中心として配備されていきましたが、合わせて操作に熟知するための訓練用として「八八式海岸射撃具砲」が導入されました。

この訓練砲は三八式野砲をベースとした火砲1門と八八式海岸射撃具を置いた観測所で構成されていましたが、まさにコレが馬川演習砲台に置かれた物でした。

 

前置きがとてもとても長くなりましたが、遺構を紹介していきます。

前回紹介した馬川兵舎は説明看板が立ち保存・公開されている形でしたが、演習砲台は俵ヶ浦地区の遺構案内には掲載されているものの普通に道を歩いて到着~って楽には行けません。自分で道を切り拓く系ですね。

と言うことで道なき道を進み、標高139m地点に砲座、その南方約100mに観測所がある演習砲台に到着しました。

 

砲座は原形を留めていますが、上に何かが置かれて残念な感じになっています。

 

角度を変えて真上から。

内側は段差が付いていますね。

 

佐山二郎氏の『要塞砲』に掲載の同砲の図面を参考にイラストを書いてみました。こんな感じで三八式野砲を改造した火砲が砲座に乗っかっていたようです。

周辺は平坦地となっていますが砲座以外三角点しかありませんでしたので、南に下って観測所に向かうことにします。

 

砲座から下ってすぐの所にコンクリート杭があります。

鉄筋入っていますが君は何者ですか?

 

さらに下ると陸軍境界標石があります。

 

裏面。防一二ノ二と書かれています。

なお陸防は全部で3本確認しました。

 

砲座方面に向けて伸びる道。

 

観測所に到着です。

 

入口です。

 

薄れていますが迷彩が残っていて高ぶります(・∀・)

 

観測所の間取りと推定される用途を書いてみました。

右が算定具室

 

左が階段

 

正面が司令室とその奥の小部屋が通信室と計算室

 

算定具室を角度を変えて見ています。

八八式海岸射撃具の肝となる電気算定具が置かれていた部屋と思われます。床面にはケーブル溝らしきもの、壁面には配電盤でも置かれていたような痕が残っています。

 

司令室床面にある機器設置跡と思しき凹み。

 

その真上に方形の開口部があります。

 

開口部は各部屋にありますが、鉄板を使った物は司令室と観測具室にしかありませんので、この部屋の開口部には砲隊長鏡が置かれていたと思われます。

司令室は観測具室の隣に位置し、隊長が主測遠機と電気的に連結した潜望式の砲隊長鏡を使って射撃の指揮を行う場所でした。

 

通信室と計算室です。

天井に四角錐の開口部があります。先ほどの算定具室にもありましたね。

 

最後は観測具室ですがプールになっていますw

 

一段掘り下げられていますが、これが八八式海岸射撃具の観測具室における特徴となっています。掘り下げられた床下に主測遠機を置く3つの支柱があり、地面と平行の床面には鉄板を敷き、天井には潜望鏡を出す開口部、、、ズバリこの部屋ですね。

 

プールの中に目を凝らすと、コンクリート角柱が見えます。写っているのは2本ですが、本来なら手前にもう1本あったと思われます。

 

当時は鉄板を敷いて床下は見えなかったと思われますが、鉄板は戦後の鉄泥棒に盗られるか再利用されたのでしょう。

鉄板を止めていたと思われるボルトの痕が壁面に残っています。

 

史料の『八八式海岸射撃具仮制式制定ノ件』には観測具の図面が載っていますので、ザクっとトレースしてみました。イメージは伝わるかと。

 

 

ここで、他地域の八八式海岸射撃具観測所の掘込部をいくつか載せてみます。

 

下関要塞珠数山演習砲台観測所

 

対馬要塞龍ヶ崎第二砲台観測所

 

対馬要塞棹崎砲台観測所

 

対馬要塞西泊砲台観測所

真ん中にデカい角錐が立っていますが、ここには八八式からバージョンアップした九八式海岸射撃具が置かれていたようです。

 

先にも書いた通り、いずれも当時は鉄板を敷いて床下は見えなかったと思われます。

 

以上、馬川演習砲台でした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第七巻 佐世保要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「日本陸軍の火砲 要塞砲」(佐山二郎著、光文社NF文庫)

「佐世保要塞演習砲台増築に関する件」(Ref No.C01003975400、アジア歴史資料センター)

「八八式7糎野戦高射砲仮制式外3点審議の件」(Ref No.C01001117400、アジア歴史資料センター)

「88式海岸射撃具砲假制式の件」(Ref NoC01001061200、アジア歴史資料センター)