今日は大島砲台前方に配備された電燈所を見に行きます。

 

大島砲台の記事はこちら。

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下関要塞探訪156 ~大島砲台 その1(砲座/砲側庫)

下関要塞探訪157 ~大島砲台 その2(観測所/宗像大社紹介)

下関要塞探訪158 ~大島砲台 その3(規正標柱)

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大島電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)による夜間時の警戒と加農砲の射撃補助を任務として、砲台の北西200mの標高110m付近に設けられました。砲台は標高150mですので若干低い位置にあります。

 

見取図で場所を確認します。

 

簡単な履歴は以下の通りです。

◆起工:昭和10年(1935)9月16日

◆竣工:昭和11年(1936)11月20日

◆装備:ス式百五十糎射光機固定式

◆施設:照明座2、掩燈所1(幅3m×4m)、発電所1、属品格納庫(梁間4.55m×桁行6.37m)

 

150糎探照灯 (電気工学 19(4)(206)より引用・抜粋)

 

『現代本邦築城史』には射光機が固定式と書かれていますが、掩燈所の存在とそこから伸びる誘導路の先に照明座があることから、上記写真のような移動式だったと推測します。

また、照明座が“2”となっていますが、1か所では照射に死角が生じたため2か所に設けたのではないかと思われます。

 

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それでは現地に向かいます。

電燈所の見取図を掲載しましたが、現存する遺構は照明座と照射方向を示す標柱、掩燈所、発電所です。属品格納庫は確認できませんでした。

 

砲台から遊歩道を緩やかに下って行くと道が分岐しますが、分岐路の先に射光機を格納した掩燈所があります。

 

正面から見ていますが、迷彩が施されています。

 

ちなみに上記2枚は2021年3月下旬に撮影しましたが、以下は2024年4月中旬の写真です。それほど時期は変わらないのに、3年が経過して草木が蔓延ってしまっています。手入れしないとこんなもんですよね...。

 

内部です。射光機は平時ココに格納されていました。

 

奥から出入口を見ています。

 

小窓がありますが、蓋井島の掩燈所にはココに「湿度計掛」と書かれていますので、同様の用途だったと思われます。

 

格納庫の外周に狭い通路が設けられています。弾薬庫でよく見られる構造ですが、湿気防止や熱を逃すための対策でしょうか。

 

格納庫の真裏の位置で天井を見上げると開口部があります。

 

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掩燈所から北に向けて道が伸びていますが、この道は掩燈所から射光機を引き出し照明座まで移動する際の誘導路だと思われます。

 

誘導路は北東にカーブする箇所が広くなっています。おそらくココが2つある照明座の一つでしょう。見取図では照明座①としました。

 

先端から振り返って見る。

 

照明座①から北側を見下ろすと道筋が見えたので行ってみます。

 

行ける所まで下降したら境界杭が何本か並んでいました。

 

戻っている途中で陸軍境界標が埋設されているのに気づきました。

 

コンクリート製の標柱で鉄筋も入っています。

表面の“陸”は判読不能ですが、裏面に“防七ニ”と刻まれています。

 

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照明座①から照明座②に向けて誘導路を進みます。

 

誘導路は掩燈所前から照明座①まではコンクリート舗装でしたが、ここからはダート道です。そもそも舗装されたのは当時なのか戦後なのか...。

 

照明座②が見えてきました。

 

照明座②です。

方向を示す標柱が2本、後方にコンクリート柱が2本埋設されています。

 

左側の標柱には、「小呂島方向」の文字と頭頂部に↑が刻まれています。

 

ヒキで見てみます。先の方に大島灯台が見えますね。

 

灯台はコレ。銘板には玄海大島灯台、大正15年初点灯と刻まれています。

 

ちなみに、灯台の先の神崎鼻に下関要塞第一區地帯標が埋設されています。左手に見える風車の直下が電燈所ですね。

 

脱線しましたが、右の標柱には「沖之島」の文字があります。おそらく「沖之島方向」と刻まれているかと。

 

他地域の電燈照明座にも方向を示す標柱が残っている所がありますが、この標柱を目安として照射していたのでしょう。小呂島と沖ノ島を地図で示すと以下の通りです。

 

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照明座②の後方に風車の立つピークに向けて道が設けられていますが、道を挟むようにコンクリート柱が2本埋設されています。

 

道の先に風車が見えますが、右手に掘り込み窪地があります。

 

掘り込み窪地に降りてみました。結構深いのですが写真では分かりませんね。

 

窪地は照明座後方から掘られているようですので、兵員の待避所もしくは射光機の格納用に使ったのではないでしょうか?

 

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それでは発電所を見に行きますが、まずは遊歩道から場所を確認します。

 

掩燈所から西側に下った斜面に設けられています。僅かな距離を下れば辿り着けるのですが、実はココ、激ヤブなんですよね(゚Д゚;)

何年か前に一度チャレンジしましたがヤブとイバラを潜り抜けられずに撤退...。それ以降半ば諦めていましたが、自分にとっては地元の下関要塞の遺構を見逃していることにモヤモヤしていたので再チャレンジしてきた結果、無事に辿り着くことができました。とは言え藪漕ぎに慣れていないと怪我しますので、行こうと思うなら自己責任でお願いします。

 

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発電所に着地しました。手前に貯水槽、奥に発電所があります。

 

貯水槽です。

 

発電所は山肌を掘り込んで地下式としています。

 

外壁には掩燈所と同じく迷彩が施されていますが、注目は何と言っても鉄扉が残っていることです(・∀・)

 

ワンチャン蝶番は残っていても扉は失われているので、残っていることに胸熱です。

 

残念ながら把手はありません。

 

扉1枚のサイズは、アバウトな計測で230㎝×100㎝×12㎝でした。

 

建物の左側に小さい部屋が付属しています。

 

内部。

 

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発電所の中に入りました。

 

床面には発電機の据付台座や冷却水を流す溝がありますが、配置が壱岐要塞長島電燈所の発電所と酷似しています。

 

中央がディーゼル発電機の据付台座と思われます。

 

樋の金具かな。

 

見る位置を変えて。

 

小窓が外周通路に向けて開口しています。

 

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掩燈所と同じく、外周の通路がありますので歩いてみます。

 

真裏の天井に開口部があるのも掩燈所と同じですね。

 

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発電所の前は平坦地となっています。

 

発電所を挟むように石垣が設けられています。

 

平坦地にコの字状のコンクリート基礎があります。

 

発電所前面の景色です。遊歩道から丸見えやな(^^;

 

以上、大島電燈所の記事書き直しでした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「下関重砲兵連隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「日本陸軍の火砲要塞砲」(佐山二郎著、光人社ノンフィクション文庫)

「四五式15糎加農(改造固定式)及同(特)細部図送付の件」(Ref.C01001502200 アジア歴史史料センター)

「下関要塞守備隊戦史資料 昭20.11.25」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第351師団戦史資料 大東亜戦争 昭20国土決戦 昭20.11.25」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「〔15HA〕」(Ref.C14061066300 アジア歴史史料センター)

「電気工学 19(4)(206)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)