その2では、観測所の再訪記を書いた後で宗像大社を紹介します。

 

 

その1の記事はこちら。

 

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観測所は砲座を見下ろす高い位置に設けられています。

 

では入ります。

 

スリット上の観測窓と観測具を据え付けた円形台座があります。

 

大島砲台起工前の昭和10年の史料には「八九式砲台鏡による射撃設備を具備する」と書かれています。

 

八九式砲台鏡は昭和4年(1929)に制式制定された観測具です。史料には「海岸目標に対し垂直基線式及目標高基線式両用に用いられる測遠機にして八八式海岸射撃具海岸測遠機の代用補助として使用するに適し移動的に随所に整地し以て目標に対する距離、併に方向角を測定するを目的とす」と書かれています。

 

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スリット窓に鉄製の支柱が1本残っています。

 

前方から観測室の内部を見ています。

 

横にもう一つ部屋があります。

 

窓が2方向に開口しています。

 

木枠が残っています。

 

前方に第3砲座が見えます。

 

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部屋から退出して観測所を外側から見てみます。

 

前方より。いい面構えです(・∀・)

 

観測室を覗いてみる。

 

左側面より。

 

第3砲座より見ています。

 

観測所と第3砲座の間に窪地があります。

 

風車から見た砲台の全景です。

 

ちなみに風車はこちら。

 

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次に3月に撮影した観測所の上からの景色を掲載します。

 

右に第2砲座、左に第3砲座、前方に風車が見えます。

 

右に第1砲座、左に第2砲座。

 

第4砲座は未整備のため見えません。

 

ちなみに夏真っ盛りだとこうなります。

 

 

探索するなら冬ですが景色を眺めるなら夏がいいですね。

 

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さて、大島砲台には下関重砲兵聯隊の第二大隊第六中隊が駐屯していました。『下関重砲兵聯隊史』に掲載されている砲台配置図を見ると、島には大隊本部が置かれていたようです。ただ略図ですのでイマイチ場所がよく分かりませんし、おそらく遺構は残っていないかと。

さらに配置図には補助観測所が島の東部に描かれていますが、おそらく下記の位置だと思われます。

 

と言うことで見に行ってみると...。

山頂には国土交通省のアンテナ施設が置かれていました。

 

建設当時は運輸省でした。

 

明治23年に埋標された一等三角点があります。

 

残念ながら補助観測所の存在を示す遺構は見つかりませんでした。

 

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2024年4月に訪問した時にアート作品の展示が行われていたので写真を掲載します。

 

「響き合うアート宗像」と題して3月下旬にイベントが行われました。会期は終わりましたが、作品は撤去されずに展示されていました。

 

 

 

 

 

看板に、戦闘機プロペラ片翼(木製、昭和4年製造)と書かれていました。

 

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砲台の再訪記は以上でお終いですが、後半は宗像大社を紹介します。

 

フェリー桟橋から5分ほど歩くと、宗像大社の中津宮が鎮座しています。

 

宗像大社は日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は天照大神の三女神(宗像三女神)で、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社に祀られており、この三宮を総称して宗像大社といいます。なお沖ノ島は島全体が神域ですので立ち入ることができません。

 

鳥居は日露戦争の出征記念として建てられましたが、砲弾も鳥居横に祀られています。

 

中津宮の社殿です。

 

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中津宮の後背には大島最高峰の御嶽(標高224m)が聳えていますが、山頂には御嶽神社が祀られています。

 

山頂は展望台が整備されています。天気が良いと沖ノ島が見えますが、訪問した日は霞んで見えませんでした。

 

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砲台北東側の海岸沿いに沖ノ島を遥拝する沖津宮遥拝所が設けられていますが、ここからも見えませんでした。って言うか見れるのがレアなんだが(^^;

 

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本土側の宗像市鐘崎の織幡神社にも遥拝所が設けられています。

 

ぬこさんたちがたむろっている織幡神社。

 

遥拝所は境内を抜けた先にありますが、この日は澄んでいて約53㎞先に浮かぶ沖ノ島を見ることができました(・∀・)

 

木板の指し示す方向に見えていますが、拡大してみるとよく分かります。

 

ちなみに、遥拝所にあるこの建物は軍隊が見張所として使ったと言われています。

 

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宗像市田島の辺津宮です。今では辺津宮=宗像大社と呼ばれることが多いですね。

 

境内です。開門時間外でしたので社殿に拝礼することができませんでした。

 

平成29年(2017)7月、宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産に登録されましたが、辺津宮のそばにはガイダンス施設が設けられていますので、ぜひお立ち寄り下さい。

 

訪問時には要塞地帯に掲げられていた標札が展示されていました。訪問した日は特別展が行われていたので、標札が常設かどうかは分かりません。

 

以上、大島砲台の記事書き直しと宗像大社の紹介でした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「下関重砲兵連隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「日本陸軍の火砲要塞砲」(佐山二郎著、光人社ノンフィクション文庫)

「四五式15糎加農(改造固定式)及同(特)細部図送付の件」(Ref.C01001502200 アジア歴史史料センター)

「下関要塞守備隊戦史資料 昭20.11.25」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第351師団戦史資料 大東亜戦争 昭20国土決戦 昭20.11.25」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「〔15HA〕」(Ref.C14061066300 アジア歴史史料センター