その4では砲座を見て行きます。

 

 

(関連記事)

下関要塞探訪138 ~筋山砲台 その1(概略と後方施設) -書換-

下関要塞探訪139 ~筋山砲台 その2(砲側庫の紹介) -書換-

下関要塞探訪140 ~筋山砲台 その3(砲側庫の考察) -書換-

 

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筋山砲台の備砲は二十六口径二十四糎加農6門です。1砲座に1門ずつ配備されていましたので全部で6つの砲座があります。『日本築城史』には「砲列は折線をなし、第1ないし第3砲座火砲の首線はSW50度、第4ないし第6砲座火砲は一直線上にあって、その首線はSW30度である。射界はいずれも120度である。」と書かれています。

なお日露戦勝後の明治40年(1907)には、旅順重砲兵大隊演習用として備砲2門が撤去されましたので、以後昭和10年(1935)に防御営造物として除籍される時まで4門編成でした。

 

芸予要塞来島北部砲台の同型砲の写真です。

(愛媛県今治市小島の桟橋休憩室に掲示の写真より引用)

 

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砲座は6つとも現存していますが、破損が激しくヤブ化も進んでいますので非常に見難いです。その中でも最左翼の第6砲座が一番状態が良いですが、第1砲座にかけてどんどん悪くなっていきます(^^;

 

第6砲座を後方から見ています。

 

砲座は塁道より一段高い位置に造られています。右手には横墻下に第六号砲側庫、左手の翼墻には観測所(もしくは砲台長位置)が設けられており、砲側庫からの弾薬補給はスロープを通じて搬送されていたと思われます。

 

第6砲座の胸墻です。

 

先ほど第6砲座の状態が一番良いと書きましたが、それでもこの程度です。土砂が流入しているため胸墻全体の長さや構造は分かりませんし、火砲据付部分の砲床も埋もれています。

 

胸墻の構造を見てみます。

 

構造は上から、斜めっている無筋コンクリート→石材→レンガ積みモルタル塗り→無筋コンクリート基礎の順で造られています。最下部の基礎は砲床の接続部分で、砲座の床面はコンクリートで仕上げられていたと思われます。

 

反対側からも見てみます。レンガはイギリス積みですね。

 

胸墻の両側に弾室が設けられています。写真は右手の弾室ですが、ほぼ見えませんので他の砲座の時に紹介します。

 

砲座を左斜め前から見ています。

 

前方からも。

 

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第5砲座です。左側の弾室が見えますね。

 

右横墻側に無筋コンクリートが露出しています。おそらくこの上にレンガが積まれていたはずですが、この件については第3砲座で考察します。

 

左斜め前から見ていますが、砲床に凹みが確認できます。

 

円形に見える凹みをヨリで。周囲にコンクリートの瓦礫が転がっています。

 

この凹みが二十六口径二十四糎加農の据付部分であることは間違いないですが、掘り起こされているため原型を留めていません。同一火砲は東京湾要塞観音崎第二砲台、芸予要塞来島北部砲台などに据え付けられましたが、砲床にはコンクリート製の突起物が残っています。

 

東京湾要塞観音崎第二砲台

 

芸予要塞来島北部砲台

 

鳴門要塞行者ヶ嶽砲台

 

筋山砲台にも同じ突起物があったかもしれませんね。

 

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第4砲座です。

 

破損しているおかげ?で胸墻最上部のコンクリートが無筋であることが分かります。また、火砲の据付部分と思われる場所に立つと下に沈み込む感じになるので、埋もれていますが大きな穴が開いているのでしょうね。

 

胸墻の両側に弾室が確認できます。まずは右側。

 

次に左側。胸墻がレンガ積みモルタル塗りなので弾室回りも同じですね。

 

ところでアジ歴の史料には、筋山砲台とお隣の田ノ首砲台そして金毘羅堡塁の弾室を増築する旨の書類が残っています。明治33年11月に増築の伺い、翌明治34年4月に竣功書が出されていますが、写真の2つの弾室がこれに該当するかは不明です。残念ながら両側の横墻部分が埋もれていますから。

 

砲座の前方を見ると平坦になっており若干下っています。

 

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第3砲座を後方の塁道から見ています。6つの砲座とも共通ですが、砲座は横墻に挟まれ、前方の砲床にかけて緩やかなスロープが設けられています。

 

胸墻ですが、最上部の斜めコンクリートは破壊され、その下に置かれていた石材が抜かれています。

 

破損部分から岩肌が覗いていますが、それよりも気になるのは、胸墻のレンガ積みモルタル塗りの右横に無筋コンクリートが見えることです。

 

無筋コンクリートに寄ってみます。

手前に転がるのは胸墻最上部の斜めコンクリートです。

 

どうやら胸墻は三層構造だったようです。つまり無筋コンクリートが露出している箇所はレンガが剥がされた...と言うわけです。

 

左側の弾室です。穹窿はレンガ積みですね。

 

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背墻に上がると第二号砲側庫を挟んで2つの砲座が置かれているのがよく分かります。

 

第2砲座の出入口を塁道から見ています。後方のレンガ積みは後世の所業ですが、手前のコンクリート床は当時物でしょう。ここはスロープ部分にあたるので、スロープ床はコンクリート敷きだったと推測されます。

 

胸墻は砂利多めのコンクリートが剥き出しになっています。

 

第3砲座で見た通り、第2砲座もコンクリートの上にはレンガが積まれてモルタル塗りされていたはず。しかも上部の石材も斜めコンクリートも跡形なく消えています。

 

弾室の痕跡が僅かながら確認できます。

 

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最後は第1砲座ですが道筋のような凹みがあります。適当に瓦礫を積んでいるので後世の所業ですが。紛らわしい...(-_-;)

 

第1砲座の胸墻も第2と同じ状態です。

 

なんともまぁ残念な感じですね。

 

左側の弾室は原形を保っています。

 

適当に積んどくぐらいなら剥がさないでもらえますか?(;'∀')

 

以上、6つの砲座を紹介が終わりました。

次回その5では観測所を見に行きます。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「明治期国土防衛史」(原剛著、錦正社)

「日本の大砲」(竹内昭, 佐山二郎 共著、出版協同社)

「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」

「金比羅山堡塁監視路及弾室等増築の件」(Ref No.C02030432700 アジア歴史史料センター)

「田の首崎砲台外6ヶ所装薬調整所等建築の件」(Ref No.C02030453200 アジア歴史史料センター)

「演習用重砲備付の件」(Ref No.C07041867200 アジア歴史史料センター)

「下関砲台筋山砲台砲床工事落成に付報告」(Ref No.C10060492900 アジア歴史史料センター)

「工2より 筋山砲台建物売却の件」(Ref No.C07050446800 アジア歴史史料センター)

「縦速計算尺備付の件」(Ref No.C07072837300 アジア歴史史料センター)

「火砲据付報告進達の義に付申進」(Ref No.C10060959100 アジア歴史史料センター)

「工兵方面より 筋山砲台へ弾薬補給庫増築の件」(Ref No.C03023044700 アジア歴史史料センター)

「火砲据付報告進達の義に付申進」(Ref No.C10060959100 アジア歴史史料センター)

「参貞第1057号第1」(Ref No.C07081451300 アジア歴史史料センター)

「工2より 下関各砲台監守衛舎新築改築の件」(Ref No.C07050416900 アジア歴史史料センター)

「廃止予定砲台補助建設物除籍の件」(Ref No.C01006566400 アジア歴史史料センター)