2024年4月に記事を書き直しました。以下は旧記事となります。

 

 

以下旧記事です。

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◆砲台名:渡良大島砲台

◆起工:昭和11年(1936年)8月1日

◆竣工:昭和12年(1937年)12月30日

◆備砲:45式15㎝加農砲改造固定式 4門

◆設置標高:45m乃至53m

◆参考リンク:「壱岐要塞の概略」はこちら→→→

 

渡良大島は壱岐島の南西に位置する島で、隣接する長島、原島とともに渡良三島と呼ばれています。壱岐島の郷ノ浦港から定期船が出ており、2島を経由して50分の船旅となります。

 

場所を地図で示します。

 

渡良大島砲台は壱岐要塞の中で5番目に竣工した砲台です。備砲は45式15㎝加農砲改造固定式 4門でしたが、その内1門は下関重砲兵連隊の演習砲台用を戦時に備砲するとされていました。

壱岐西方海面及び壱岐海峡に侵入する敵艦船・潜水艦を撃退することが任務でしたが、戦争末期の昭和20年には、洞窟陣地を構築して火砲を移設することになり、射撃準備を完了して坑道を構築中に終戦を迎えました。

 

砲台の見取図を掲載します。

 

上陸後歩いて20分程度で現地に到着。まず目に入るのはこの階段です。

 

階段をあがると、、、藪っています(笑)

 

よく見ると、コンクリートの壁が残り、残骸も散乱しています。

 

西側に下りる通路があります。

 

この遺構ですが、周辺を見渡せる高い位置にあり尚且つ4つの砲座の中央に配置されていますので、「観測所」だと思われます。

 

西側に下りた先から「観測所」の内部を見ています。

 

通路を出て右に行くと、貯水槽があります。

 

そして貯水槽のそばには、「地下弾薬庫A」の東側出入口があります。

 

では中に入ってみます。

 

内部は弾薬庫が2つ並んで配置されています。

左の壁に2つ、右奥にはもうひとつの北側出入口があります。

 

「弾薬庫」は2つとも同型同サイズのようです。

 

「弾丸置場」の文字が残っています。

 

北側出入口の壁に残るリベット跡と蝶番。

 

北側出入口を出ると「砲座C」があります。

階段付きの円形コンクリート胸壁で囲われた砲座となります、、、と言われても藪っていて見難いですね(笑)

って言うか砲座のある一体すべてが藪っているので、見つけるのも難儀しました。歩いていたら砲座の中に落ちそうになるし(^^;)

 

さらに、「地下弾薬庫A」の南側には「砲座B」があります。

ここもヒドイですね(-_-;)

 

こんな状態なので、4つある砲座の内1つを見つけることができませんでした。それが見取図にある「砲座D」です。

まぁこの写真の中のどこかにありますよ、きっと(笑)

 

この場所は、海岸線に面して大きな木も生えておらず見晴らしがよいので、もう少し整備すれば宗像の大島砲台みたいな風光明媚な場所になるのに惜しいなぁと思いました。

 

では、この辺で前編を終了します。続きは後編にて。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「壱岐要塞兵備資料」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「国土地理院地図(電子国土web)」