4年ぶりに渡良大島砲台を再訪しましたので、ブログ記事を書き直します。

 

渡良大島(わたらおおしま)は郷ノ浦港の沖合に浮かぶ島で、近隣の長島、原島とともに「渡良三島(わたらみしま)」を構成しています。なお現地では単に「大島」と呼ばれています。

 

地図で島の位置を確認します。

 

大島に上陸するためにはまず壱岐島に渡ってフェリーを乗り換える必要があります。つまり二次離島と言うわけですね。

壱岐島の郷ノ浦港から定期船が1日4便就航しており、原島、長島を経由して大島までは50分の船旅となります。

 

 

なお二次離島ではありますが日帰りで行くことが可能で、探索時間は4時間確保することができます。以下は旅程の一例です。

 

博多港 8:00→郷ノ浦港 9:10

郷ノ浦港 11:00→大島 11:50

大島 16:00→郷ノ浦港 16:50

郷ノ浦港 17:10→博多港 18:20

 

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渡良大島砲台は壱岐要塞の中で5番目(6個中)に築城された砲台で、昭和12年(1937)12月10日に竣工しました。備砲は四五式十五糎加農 改造固定式 4門でしたが、その内1門は下関重砲兵連隊の演習砲台用を戦時に備砲するとされていました。

壱岐西方海面及び壱岐海峡に侵入する敵艦船・潜水艦を撃退することが任務でしたが、大東亜戦争末期の昭和20年(1945)には洞窟陣地を構築して火砲を移設することになり、射撃準備を完了して坑道を構築中に終戦を迎えました。

 

◆起工:昭和11年(1936)8月1日

◆竣工:昭和12年(1937)12月30日

◆備砲:四五式十五糎加農 改造固定式  4門

◆射撃の首線:真方位270度 

◆砲座標高:45m乃至53m

◆壱岐要塞の概略はこちら→→→

※訪問:初回/2020年11月、最新/2024年3月

 

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備砲の四五式十五糎加農には「改造固定式」と「改造固定式(特) ※(特)はマル特」の2種類がありましたが、いずれも放射脚を外して固定砲床式とした火砲で、昭和10年2月18日に制式制定されました。両者とも50口径砲身長7.5m、最大射角43度と能力・見た目ともにほぼほぼ同じだったようです。

 

改造固定式の大射角姿勢 (「日本陸軍の火砲 要塞砲」より引用)

 

朝鮮海峡要塞系における配備は以下の通りです。

 

【改造固定式】

(下関要塞)大島

(対馬要塞)大崎山、海栗島、棹崎、西泊、竹崎、郷崎

(壱岐要塞)小呂島、渡良大島

(釜山要塞)嶝第二、只心島

 

【改造固定式(特)】

(下関要塞)蓋井島第一

(壱岐要塞)名烏島

 

これら要塞における沿岸砲台は終戦まで敵艦に対して射撃を行った例が非常に少ないですが、渡良大島砲台の射撃について『砲兵沿革史』には、「戦争末期の白昼一万頓級の輸送船が敵潜水艦の魚雷攻撃を受け航行不能に陥った際、渡良砲台の15加射撃により敵艦を駆逐し、該砲台の援護下に輸送船を本島沿岸に収容したのが唯一の戦果」と書かれています。

 

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それでは現地に向かいます。

 

50分の船旅です。

 

大島のフェリー待合場に掲示のMAPです。4年前から更新されて砲台跡の写真が掲載されていました。

 

砲台跡までは桟橋から歩いて約20分で到着します。これまた4年前にはなかった案内板が設置されています。

 

順路通りに進むと観測所への階段が目の前に現れます。

 

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見取図を描きましたので掲載します。

 

4つの砲座が南北に並んでいますが藪と堆積物で非常に見難いです。観測所は破壊されていますが地下砲側庫はよく残っており、戦争末期に構築されたと思われる穹窖砲台が2つ現存しています。

なお史料では砲台北側に電燈所が置かれていたことが書かれていますが、確認することができませんでした。

 

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それでは観測所への階段を上がります。

 

観測所は残念ながら破壊され瓦礫が転がっています。

 

観測所前方部分と思われるコンクリート壁です。

 

渡良大島砲台の観測所で使用する測距機器は当初「八九式砲台鏡」でしたが、「九六式測遠機」に改められて設置されたようです。

 

階段とは逆側の北西側に通路があります。

 

鉄扉が付いていた痕が確認できます。

 

鉄扉はこんな感じだったかと。(対馬要塞棹崎砲台の観測所より)

 

通路を出て振り返って見る。

 

通路の右側に貯水槽があります。

 

梯子が残っていますね。

 

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観測所出入口の対面に地下砲側庫への入口が口を開けています。

 

入ります。

 

2つの砲側庫が並んでおり、奥の右手にも出入口があります。

 

弾丸置場の文字が残っています。

 

見取図では右手を砲側庫①、左手を砲側庫②としました。なお火砲は1門1砲座で4砲座ありますので、砲側庫も4個が設けられていました。

 

砲側庫は4つとも同型同サイズです。写真は砲側庫②の内部です。

 

北東方向に開く出入口。ちなみに出口はヤブっています。

 

外から見るとこんな感じ。

 

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最右翼の第1砲座がありますが、藪と堆積物で埋もれています。

 

コンクリート胸墻で内部に入る階段が2か所に設けられています。

 

凸部分が階段です。

 

きっとコレと同じ形状だったはず...。(下関要塞大島砲台より)

 

砲座脇の地面に用途不明のコンクリートが見えます。

 

砲側庫のある丘陵地に上がって第1砲座を見下ろしています。

 

ご覧の通りとても眺めが良いですので、砲座を掘り返して草木を刈って整備すれば、筑前大島の砲台跡地のように風光明媚な景色を楽しめるのにな。惜しい...。

 

参考記事。

 

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ちなみに、砲側庫のある丘陵地に上がると地面にコンクリートが確認できますが、どうやら砲側庫上部の土が削れて露出したようです。

 

ちなみに1977年の空撮にも写っています。

 

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第1砲座前方の突出部に窪地とコンクリート柱があるので見に行きます。

 

先端部にある素掘りの窪地です。

 

その手前にコンクリート柱が立っています。用途は不明ですが射界を示す標柱だったのでしょうか?

 

砲座前方は凄い断崖になっています(゚Д゚;)

 

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観測所前面は平坦地になっています。

 

平坦地の先に第2砲座がありますが、こちらもまた藪と堆積物が満載です。

 

それではココでその1を終わります。次回は砲台左翼側を見に行きます。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「日本陸軍の火砲要塞砲」(佐山二郎著、光人社ノンフィクション文庫)

「壱岐要塞兵備資料」(防衛研究所)

「砲兵沿革史 第1巻 (制度)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲台建設要領書中一部改訂の件」(Ref No.C01005449700 アジア歴史史料センター)

「兵器調弁並改修の件」(Ref No.C01004235000 アジア歴史史料センター)

「国土地理院地図(電子国土web)」