口善人・頭善人 ② | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき



先日来 頭善人?の人達にたくさん出会った。

科学的知識や経営的知識や 経済の流れにはとても詳しく 世間の一流の人々との出会いを誇りながらも 一番の関心は自分と自分の仕事ばかりで走り回っていた。欲と名誉に追われ追われ 時間を失っていく人だった。

野に咲く小さな花の美しさや、五月の華やぎや 秋の静かな明るさに美しさを感じない人は 人の悲しみや痛みがわからなくなるだろう。利を追って忙しく そんな感傷を笑うだろう。


また 人の胃や子宮や大腸を切り取るのが一流と思っている優秀な医者に出会った。

体の悪いところを切り取ればすべて・・・上々ではない。

病を得た人の 忙しく飛行機の中を走らねばならないような人に生き方を改めさせなければ 切ったガンも春の木の芽のように、次の芽がすぐに生えてくる。

人生を本で学び 人生哲学をいくら頭に詰め込んでも その知識を自己繁栄と 自己の都合に注ぎ込むならば 周りも自分も苦の渦に巻き込んでゆく。


このように頭善人とは 頭が良くて その善を実行しない人のことをいう。

頭で科学と経営学を学んで 自分の会社と自分の地位を売り上げの上昇のためだけに使う人をいう。

周りの人は いっしょに苦の海に巻き込まれるだろう。


昨年 渋谷ビル街で道路脇に座り込んでインスタントの食事をしている大勢の子供群に出会った。

その異様な光景に目を見張った。

利を優先する社会によって作られた子供たちの食べ物は 口当たりのよい化学薬品で固まり、子供たちはますます狂う。病気にかかる人と病気の種類は増え 科学とお金は地球とその上の生き物を救うために使われなくなってゆく。もう利と欲を追うのをやめよう。


私みたいな説教好きの人間に 口善人が多い。

神様や仏様や人の道を説く人に、自分はやらない人が多い。

自分は吸うけれども テレビでたばこの害を一生懸命説いていたお医者さんみたいなものだ(笑)


あれこれ人に文句はつけるけれども 自分の行いが正しくない人は尊敬されない。

人の頭上のハエを追うのは簡単なように、人のことはよく解る。

私を含めて 口善人にならないためには 自分がしていない事を 他の人の言葉を借りて喋らない。自分がしている事を自分の言葉で語るようにしている。

人の喜びと安らぎと 向上心につながる言葉のみを語りたい。

口だけで良いことを言い 尊敬を得ようとする人を口善人という。


それにしても 今夜は十六夜で月が満月のように明るい。

空を見上げると大蝶々のようなオリオンを追って 満月のような月が 西に向かっていた。

クヌギの細い枝が月の空にからみついて美しい。

辺りは真昼の明るさで 足元の石ころまで白い月の光を吸い込んではっきり見える。

冬の月は 凜として気高い。


(月刊致知2005年3月号)



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