<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>
昨年から今年にかけて暖かく 穏やかに晴れた日々に恵まれた。
人生の晩年にこんな一年があることは ありがたい。
世話しいのは心の方で すぐに未来の心配をしてしまう自分がいる。
心の奥にいるヒトラーはなかなか消えることなく 何かにつけて膨れ上がって心をかき乱す。
絵や写真や音楽には残せない一瞬の移りゆく自然の美しさは、知識や最新の技術等というものを吹き飛ばしてしまう。おそらく景色を演じている 草や木や大地の奥に生命の輝きを見てしまうのだろう。若い時には感じなかったが 今ははかない景色や移りゆく刻(とき)に愛しさと人生の残り時間の少なさを嘆く切なさの二つを含んでまっ白となり 明けゆく景色に溶け込んでいくようだ。
お釈迦様も死の間際に緑のヴェサリーの地で「この世は美しい。この世は美しい。ヴェサリーは美しい」とつぶやかれたという。
本当に・・・。この地球の美しさ、心地よさは例えようがない。春も夏も秋も美しい。
そして この冬の厳しい雪景色の美しさは、心を清々(すがすが)しくしてくれる。
寒い寒いとコタツに入り、暖房をつけっぱなしの生活に慣れると つい、この世はお金と地位の向上と 売り上げの拡大が人生の目的と思い込んでしまう。地球に 人として居られる時間は短いのに・・・。
いつまでも人生は続くと思ってしまい 毎日の仕事に ただただ流されてゆく。
人格の向上や 生きる楽しさを大事にしなくなってしまう。
あっというまに年をとり 若さは強風に舞う紙のように はかなく飛び去ってしまうというのに・・・。
机仕事ばかりで 下を向いていきてはいけない。
一日一回は外に出て空を仰ぎ 舌を出して天のエネルギーをなめるといい。
元気と 生きる力と勇気が身に湧いて 恋した時のように楽しくなるだろう。
・・・つづく
(月刊致知2005年3月号)