穴窯で器を焼く ③ | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき


一度 大手電気メーカーの電子レンジタイプの窯で焼いた作品を見たが、精気のない形だけの干物のアジのように思われた。作り手の思いも 汗も 愛情も 努力も感謝も伝わってなく、胸をうつ美しさもなかった。


私の友人の久保氏が言う。

「1秒で描いたDMは1秒しかお客は見ない。10秒かけたものは10秒、10分で書いたものは10分かけて読んでくれる。心にしみ込む時間に応じて 人はそこに同じ心の時間を注いでくれる」


陶器の場合も、器が厚く 大きな物ほど時間をかけて乾燥し 時間をかけて自然の火による熱を伝えなければ、できあがった器はひずみ 風格に味わいがなく 割れても惜しくないものとなってしまう。


そう お金は必要な物であるが お金は人生をかけて目指すものではない。

人として 風格と人格と人間性を高めるために生きてゆくことこそ 目指すもの。

社長になることや 会社を大きくすることや 社員を眠らせず、休ませず働かせて 支店を増やし 拡大してゆくことは 目指すものではない。

地位も名誉も家もお金も 車でいえばガソリン。目的地まで走る材料。窯でいえば薪。品あり 人の心を打つ陶器を焼き上げるためのもの。


人生の前半に積み込んだ罪 重荷をおろしてゆくことこそ、人生の後半における心の作業。

人に与えた苦と悲しみと 心の傷を、残りの時間の中で 人に喜びと優しさを与えることで清めてゆけるように・・・。


その時 限りない安らぎが 自分の今ある病の痛みを治してくれる。

その時 強い怒りと強い不安は私たちから遠ざかる。

それはちょうど 窯の温度が1200度になると 窯の器が火の色のまま透明になり 驚くような清さの中で澄んでくるように・・・私たちも澄み始める。


(月刊致知2005年1月号)



 
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