天罰はあるのか ② | 満願寺窯 北川八郎

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<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき



釈尊も次のように言われる。


「人を怨(うら)む人は、いつか恨みをかうことになる。また 人を罵りわめく人は いつか他の人から罵られ、人から怒りを受ける。怒る必要のない人に怒るならば、この世においても 次の生においても その人は 成した罪に応じた苦しみを受ける」と。


だから おいしい生活をする人を少しも羨むことはない。

その人たちは 生活を維持するために同じくらいのトラブルと 争いを人生に持ち込んで戦わねばならない。おいしい物を食べ続け、快に酔う人はいつか細胞が反乱し、内臓が破れてゆく。一つの行き過ぎを成すと その後 物理的苦が自分にやってくる。甘いケーキや揚げ物の料理を食べすぎると肥えるように 過労によるイライラと不安は ストレスとなって私たちに腸ガンや乳ガンや子宮筋腫という体内オデキをもたらす。

人に喜びを与えると 顔は輝き心が落ち着き 少食になってゆく。


質問した夫婦はさらに問う。

「私たち二人は共にストレスに弱く アトピーと他のいろいろなアレルギーに悩まされ失業中です。不運に生まれついているのです」


あ~なんと幸運なことか。

あなたたちは 天から二つものチャンスが与えられている。

今の不運は 逆にチャンスであるのに。

さらにアトピーやあアレルギーを治す食事や心の置き方を研究し 同じ病苦の人達の苦をとってあげればいい。

天を怨むのは筋違い。気づきに感謝して 別の人生を歩めばいい。

不運を乗り越えた時の充実感はたとえようもなく、幸せを感じる人も多い。


「さあ サイの角のように 正しく独りまっすぐと道を歩め」 と釈尊はいわれる。


天罰はない。

自分で自分を罰し その苦によって顔がゆがみ能面になる。


(月刊致知2004年11月号)




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