やさしく ありたい ② | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき



時々子供たちに厳しく 時々怒りと我欲に濁る自分がとても嫌だった。心の奥に住む この小さなヒトラーは なかなか消えてくれない。ひょいと顔を出し すぐに暴れる。おかげでヒトラーが暴れ出し、その後は悲しみと落ち込みの中で 嫌悪感に苦しむ。


20代の後半までは 人生の目的が出世と経済的成功の中にあるという思い込みの中で生きてきた。40歳近くになってやっと 家柄や血筋や学歴が その人間の優秀さ、そして人格をも示すものではないと覚った。

インドを旅して 人の世を生きる時、同じように荷を軽くすると 心も軽くなる事を知った。

欲を薄めると 怒りと不満が消えてゆくのを知った。

怒りと優しさは 一つの袋の中にあると気づいた。怒りが太ると優しさは縮み 優しさが膨らむと怒りが縮んだ。


善意と好意は 与えっぱなしでいいと学んだ。

それでも 時には神の存在を疑い 仏陀のことばを受け付けない日々がたくさんあった。

私を傷つけ嫌う人に 平和と幸運が訪れるように祈るには、まだなれなかった。

幼い頃より 人に負けるのが嫌いで、競争と権威を好んだ。


青春の残骸は 今は消え去った。

陶芸作りを通して 千度以上の世界には 手を入れる事が出来ず、火の神に作品を委ねるしかないことを つくづく学び、私たち人間にも 人の知や欲が遠く及ばない天の運の流れがある事を知った。

40歳を越えたころ 迷いはなくなったが、欲の残骸には悩まされ続けている。

まだまだ 道のりははるかに遠い。

共に歩く人も少なく、千達の古い足跡を見つけつつ歩まねばならない。

空の青さを映した 青い草の海を眺めていると 心の中のヒトラーがくっきり見えてくる。

ただ やさしくありたい。

近い人にも遠い人にも 妻にも子供にも 同じ道を歩む人にも 歩まない人にも、そして丘の草にも花にも鳥にも虫にも、ヘビや蛙にも ただやさしくありたい。

心のヒトラーが消えますように・・・。


(月刊致知2004年5月号)



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