やさしく ありたい | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


(前略)



森の中を歩いていると、平和感に満たされる。

車のひしめく都会生活で 得たとか、失ったとか 売れたとか 売れなかったとか、うまくいったとか いかなかったとか 嫌な人だとか 感じのいい人だとか、これまでのさまざまな人間の苦と楽が引き潮のように遠く引いてゆく。


現実が どうでもいい世界だとは思わないが、この世の良き建設も 悪しき争いも、ずんずん遠のいてゆく。


数十年もよかった 悪かったと騒いで生きてこざるを得なかったが、乗り越えてみると すべて思い出。

時の彼方に霞んでゆく。

強い風に舞い飛ぶ ちり紙のように、飛んで飛んで見えなくなってしまう。

少し悲しくて 少し淋しいけれど 苦も楽もオブラートに包まれたように和らいでいる。


春の草原の広がりは、爽やかな風と 小鳥と虫たちのざわめきとを含んで 初夏に向って心をときめかせてくれる。

空が澄み渡り 風が甘い日は、たまらなく草原の あの丘に行きたくなってしまう。

何年前だったろう。押戸石と呼ばれる地名の丘に立って、ある不思議なことに気づいた。

この押戸石の丘の頂上には 巨大な岩の群れが 何かを暗示させるように並んでいて 中心にはおむすびのような巨岩が鎮座している。なんだか九州のヘソを思わせるところだ。


正面に白煙たなびく久住山が見え 右手の南の方向に涅槃像の型をした阿蘇山が横たわる。くるりと首を廻しても 一軒の人家も見えず、どこまでも広がりある草原の丘の景色だ。

この巨岩に立つと 地球が円く見え、地球の小ささに驚いて 敬虔な気持ちが湧いてくる。

遠くから来た人は皆 しばらくこの微風の丘に佇んでしまう。

30分もここにいると 体中に気がみなぎってくる。

不思議な大地の経絡スポットなのだろう。


この丘から見渡せる草の波は、いつも青色をしているのだ。

天気の良い日ばかり登っていて 景色がいつも青いので疑問に思わなかったが、曇りの日に登り いつものように草原が青くないのに気がついた。春か夏の晴天の日には必ず草原が薄青い光の中に広がっていた。

その時 初めて「あっ 草原も海と同じ・・青い空の色を映すんだ」と気がついたのだ。


その青い草の海を眺めていると、体の奥から悲しみと 安らぎと 不思議な優しさがにじみ出て 「やさしくありたい」と心が揺さぶられた。

今までの苦も楽も いっしょに溶けて ただ「やさしくありたい」と胸の内に広がった。


・・・つづく


(月刊致知2004年5月号)



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