<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>
(前略)
この美しい稲を刈るのは とてももったいないが、10月の中旬に田を刈り取った。今年も天に逆らわず 田の手入れをしたおかげで おいしいお米を刈り入れることができた。来年もきっと雨台風がやってくる。少し早く稲を植え 寒さに強い山田用のモミを撒こう。これから阿蘇の原野はますます美しくなる。東京からの訪ね人をこの草原の真っただ中に案内すると 皆 言葉を失う。そして大地のオーラを浴びて 皆の顔が溶けてゆく。私たちは同じ時の舟に乗っていることを実感する。
ところが、快をお金に変えて お金を快に変えて 経済の繁栄を第一にする人は、この景色に興味を示さない。経済的戦いのリングから下りて初めて、リングにいた時 気づかなかった社会の狂いが見えてくるようだ。社会が狂いつつある。経済の仕組みに 街と人の心が壊されつつある。
人里から離れ この遙かな景色の中に立つ時、やっと心が何かに目覚めてゆくようだ。
果てしないススキの波の向こうに浮かぶ 阿蘇の涅槃姿を見つめていると、この人の世の法則が見えてくる。
感謝の少ない人は 他の人の苦労や 悲しみがわからない。すべてお金で解決しようとして、逆に自分がお金で苦しむ。
利に深く依存すると 利に苦しむ。
いつも人を 良し悪しで評価する人は 自分が評価されるのが怖く、他の人からの評判や 評価に苦しみ、世間の人への選択肢を狭くして 善意を失ってゆく。
何気ない 他人の目さえ悩んでしまう。
感謝は返謝で完成する事を知らない。
人から 善意をもらったら 必ず返すといい。
もらいっぱなしでは 人生の荷台に荷がかさばって ブレーキが利かなくなってくる。
どうしてそれ以上に 何でも欲しがるのだろう。
立派な家 快適な車 高い地位と人からの尊敬・・・。
もう 人生の荷台は一杯なのに 次々と苦の因(もと)となる快を欲しがる。
この世は 自分が投げたものが 必ず返ってくる。
その人が弱った時に 今まで投げたものが全部返ってくる。
いつも 善意と好意を投げている人は その人が地位を去った時に 人々の賞賛と尊敬となって返ってくる。
人を信用しない人は 人からの信が得られない。
自分にとって都合の良い 利を選ぶ癖から抜けられないからだ。
「利よりも信を選ぶ」大切さと勇気を子供たちに伝えたい。
人の喜びこそ 我が魂の救い。
・・・つづく
(月刊致知2003年12月号)