怒りを徳に変える ② | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


前回つづき・・・



信も捨て 売り上げと利益を目指す会社を訪れると、社員の目が鋭く彼らの動きが直線的に感じる。社員たちの ミスを恐れるこわばった顔が こちらに乗り移り疲れてしまう。

会社の利を得る為の理論が鋭いため、助け合うという 穏やかさがない。

そこの人は、みな利に弱い。利を得て何をしようとするのだろう。

結局は 大病して腹か背中に手術の傷あとを残すことになってしまうのだ。


人の喜びや 感謝の心を持って仕事をする人々は笑顔が素敵だ。

口調も穏やかで明るい事が多い。

利よりも 信を選ぶ会社は何十年と続き、利を求め 信を失くした会社は新聞紙上を見てもわかるように たちまち消えてゆく。社会の変化についてゆけなくなるのだ。


味付られた料理は 毎日食べられないように、奇抜なアイデアや 驚かすような商法は 一時的に目を引いても、すぐに飽きられてしまう。

結局は 味そのものを持った新鮮な材料にはかなわない。


いつも気をつけて 利に足を取られ信を失うようなことをしないように 問い直してみることが大切。

人を傷つけ 悲しませ 自分のためだけに生きてきたと気づいた時、今の苦と不安の原因がわかるに違いない。私たちは神から 快をなし 欲を張るためにこの人生を与えられたのだはない。

欲と怒りを脱出してみると、毎日の平和感 不安のなさ 笑顔の世界がなんと住みよいことか。

桜も 秋の紅葉も私たちを祝福してくれていることに気づく。


怒りを脱出すると 今までとは違う充実感に生きる事になるだろう。


魂を休めたいと思うならば 瞑想を覚えるといい。

もし 魂を清めたいと思うならば、人のために祈ることを覚えるといい・・・。


(月刊致知2003年11月号)




満願寺窯 北川八郎