懐かしい運動会 | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


1999・11・26 no43  


9月に満願寺小学校で運動会があった。その入り口のアーチに「大運動会」と大書してあった。それは私に「無法松の一生」の大運動会シーンを思わせるものであった。懐かしくて ありがたくて 切ない。


関東にいたころは「・・・小スポーツ大会」であり「・・・小競技会」と味気ないもので「運動会」ではなくなってしまった住民の参加も弁当の楽しさもない。満願寺小の大運動会は昭和三十年代そのままで 今どきこんな運動会があるなんて。無法松も出てくるし 少年Hも走る。かつての大運動会があった。


児童数は29人だから子供の出番が多く 走ることから組み体操まで全員総出演で大忙しなのである。当然住民参加が増える。子供たちの出演種目よりも大人の出番の方が多い。それも中学生から老人まで盛りだくさん。


三つの校区に分けての競い合いはリレーを最高潮に盛り上げる。無法松が走る。消防士も 先生も名誉をかけて走る。この大運動会は昭和三十年代を楽しめる一日となる。


大正・昭和といえば この校区に吉原という所があり ここの9月20日は大正・昭和初期のお祭りに投げ込まれたようになる。吉原神楽は 一日中手づくりの笛とかねの中で踊られる。村のはずれにある丘の頂上に 社と能舞台がある。秋の早い夕暮れに丘の上まで点々とともされる提灯(ちょうちん)。その薄明りの階段を上るにつれてお囃子の音が大きくなってくる。吉原神楽は幻想的時代錯誤の世界の入り口となる。小国はいろいろ面白い。