生き金と死に金 | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


1999・10・15 no37


お金さえあれば この世は何でもできると考えている人に出会った。現にそう思っている人も多いのだろう。その人はどんなにお金を持っていても できないことがあることを信じない。


十年も前の話だが 近くの中学校のあるアンケートを見る機会を得た。問いは「今一番欲しいもの」だった。私は単純に自転車・ゲーム機・グローブ等々を想像しながら用紙を繰った。一人だけ「自転車」とあり あとは男女とも全員「お金」だった。「ウ~ン」とうなってから十年、二十一世紀を迎えようとする今 ますます子供たちにその傾向は強まっている。


お金をたくさん持つと 使うことを惜しむようになる。自分の快のために使えるが 人のためには使えなくなる。自分の快のために使ったお金を「死に金」という。もう自分のところには返ってはこない。


人の喜びのために使うお金は「生き金」である。いつか自分だけでなく 自分の孫にまで返ってくる。今 大人も子供もお金を自分たちのためだけに使う。快はさらなる刺激を呼び やがてトラブルと対立を生むもととなる。人の喜びに使ってこそお金が生きる。欲のコントロールを幼い時から身につける機会を与えてやりたい。


お金は蜜に似て甘く いろんな種類の虫を呼び 同じようにお金におぼれて人は信用を失ってゆく。日本の社会の上層部の人たちが このお金の蜜としての甘さに負けてしまっている。お金よりも大切なこと きちんと生きること 信を得る仕事をすること 少し損をして生きること ありがとうと言ってもらえる生き方を選べること を子供に教えていきたい。