新井英一のこと | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


1999・10・8 no36


新井英一(歌い手)は私の大事な友人だ。彼は私が失ったものや 忘れた心情を幾つも持っている。彼の声は 私の幼いころの風景や悲しさや心の痛みを思い出させてくれ そのうえ癒してくれる。何とも不思議な人だ。


熊本市に下りる途中のミルクロードの草原を走りながら新井英一の歌を聴くと胸が熱くなる。涙が出て 亡き母の若いころのしぐさを思い出してしまう。北野武氏がテレビカメラの前で慟哭したように 幾つになっても母への憧憬は深い。白いエプロン姿の母は心を揺さぶる。


新井英一は男性なのに・・・彼の声は切なく 行き着くところ勇気がわいてくる。「よし きちんと生きよう。これ以上嘆くまい」人を責めたり 文句を言う自分を恥ずかしく思わせる。


著名なある冒険家がモンゴル奥地の草原で行き惑い 大地に寝転んで新井英一の歌を聴くと「実に景色に合うんだよ」勇気を得て歩き出したと私に告げてくれた。


新井英一は年賀状に書いてくる「やり続けるといつか 前に出る」彼は四十を過ぎて広く知られるようになった。「私はエイジアン(アジア人)」と言う。ヨーロッパの通貨がユーロになり 人が混合し一つになりつつある。今のユーロ加盟国11カ国が2010年には最大27カ国に拡大するという予測もある。国を超え欧州人 アジア人という時代がもうすぐやってくる。やがて「日本人」という枠も壊れてゆく時が すぐ次の世代に訪れることを知っておきたい。