生誕100年 昭和を生きた画家
牧野邦夫 ーその魂の召還ー
牧野邦夫展の開催まであと45日
牧野が京都で生活していた2年間
東京暮らしでは見えない光景を
たくさん見ることができ
充実した時間を過ごせた京都という土地
京都にいる時に
奈良の東大寺戒壇院の四天王を
描きたいということで
朝早くから奈良へも通っていた牧野
その時に描いた絵が
『戒壇院を追われる浮浪者D君』
戒壇院戒壇堂の中に安置されている四天王は
奈良時代彫刻の最高傑作とも言われ
仏像の中でも威厳に満ちた神秘的な像だとか
私は奈良には2度ほど行きましたが
東大寺や正倉院や二階堂は訪れたのに
戒壇院には訪れていません
そう知ると本物が見ておきたかったと
後悔する仏像好きの私
近年は戒壇堂が修理中だったようですが
2023年に再開されたばかりだとか・・・
修理期間中は東大寺ミュージアムで
じっくり見られたんですね~ 残念
牧野が描いた戒壇院 四天王像
手前右が持国天 左が増長天
後ろにあるのが右が多聞天 左が広目天
ポーズ、表情、肉付きから甲冑まで
まるで写真のようで。。。
踏みつけられているのは餓鬼
その苦悶に満ちたお顔も。。。
後ろに立つ 多聞天、広目天の下には
パンフレットのような説明書き
実は・・・
牧野が像と対面しながら描くことができたのは
持国天と増長天の2体のみでした
当時の牧野
奈良・戒壇院の四天王が描きたいと
伝手を頼んで東大寺戒壇院に伺わせてもらった
ところが2体を描き終えるころに
もう駄目だと断られてしまった
それは
お寺さんに対するお礼をしなかったから
お寺へのお礼として志を包むことをしなかった
何かしらのお礼をしておけば
そんなことにはならなかっただろうと
千穂さんは後で後悔したと話しています
お寺さんとはそういうものなのですが
そんなこと全く考えていなかったと
ただ それ故に この素晴らしい絵が
完成したのだと牧野は後々話しています
この絵の中にある戒壇院の南門
門の上には虹と天女?
その細かい門の描写も実物と比べたくなります
門の外には酒瓶を持った牧野らしき人物
せっかく来たのに なんだよ~
という感じなのでしょうか?
私が気になったのは
四天王の足元に沸く魑魅魍魎に交じって
本を開いている子供達
なんとも不思議な絵です
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